2019年10月20日(日)は、コロサイ1章24-29節から「パウロにゆだねられた務め」と題して、学びました。
Ⅰ、パウロの使命感(24,25節)
パウロは使徒として多くの迫害、困難、苦しみを耐え忍んできましたが、聖徒たち(キリストのからだ)のために苦しむことは喜びであると述べ、自分はキリストの苦しみの欠けたところを満たしていると書いています。これは、キリストの十字架の苦しみが不十分であったということではなく、信者が苦しむ時、キリストもともに苦しんで下さっているので、パウロは他の信者の代わりに、自分の身をもって苦しみを耐えていることを表していると学びました。
パウロは、神のことばを余すところなく伝える、すなわち神の計画の全貌を教えることが自分にゆだねられた務めであると理解していました。
Ⅱ、栄光に富んだ奥義(26-29節)
パウロが伝えた神のことばは、奥義でした。奥義とは、これまでは隠されていたけれども、新約時代になって明らかにされた真理であり、ここで明らかにされている奥義は、信者のうちにキリストが住まわれるということでした。内住のキリストは、栄光の望みであると書かれており、キリストこそ私たち信者の救いの完成の望みであることを覚えました。
パウロは、知恵を尽くしてキリストを宣べ伝え、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えて、全ての人をキリストにある成人として立たせるために奮闘していましたが、それは自分自身の力によるのではなく、自分の内に力強く働く、キリストの力による奉仕であったことが示されていました。
※まとめとして、キリストは、私たち信者のうちに住むことによっていつまでもともにいて下さり、そのキリストからの力が、私たちのうちに力強く働いて、私たちそれぞれにゆだねられている務めを実行させて下さる、ということを覚えました。