2019年10月6日(日)は、コロサイ1章18-23節から「神の御子の本質とみわざ(2)」と題して、学びました。
Ⅰ、御子と教会の関係(18節)
御子は、そのからだである教会のかしらであり、からだ(教会)は、かしら(御子)の御心を世に示し、実行することが求められていることを学びました。
また、「初め」と訳されている言葉は、「根源」とも訳されていることから、御子は新しい創造の根源なるお方であり、初穂として初めて復活されたお方であることを覚えました。
当時コロサイ教会に入り込んでいたグノーシス主義の間違った教えに対して、パウロは、御子が第一のものとなられたことを強調していることを学びました。
Ⅱ、神との和解(19-23節)
コロサイ教会の信者たちは、かつては、神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあり、和解が必要な者でした。
今、彼らは、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって神と和解させられ、和解の結果として、聖く、傷なく、非難されるところのない者として神の御前に立たせて下さったという、位置的真理について確認しました。
グノーシス主義者たちの間違った教えに惑わされることなく、福音の土台に堅く立って、信仰に踏みとどまるように、というパウロの勧めを学びました。
※まとめとして、御子イエスがどのようなお方であるかを、今日の箇所から再確認し、私たちも福音の望みから外れず、信仰に踏みとどまるために、御言葉を正しく学び続けることが大切であることを覚えました。