旧約聖書におけるメシア預言
レジュメ(11)2025年11/29
イザヤ53章がメシア預言である10の理由
2007年フルクテンバウム博士セミナー
『旧約聖書におけるメシア預言』
THE MESSIAH OF THE OLD TESTAMENT
By Dr. Arnold Fruchtenbaum
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句箇所です
(セミナーでは新改訳3を使用しています)
(このHPでの引用聖句は原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は引用聖句や参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASV)
マロン色の文章はアーノルド・フルクテンバウム博士著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論
ー旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯ー』p.77~79の抜粋補足説明です。
マゼンタ色の文章はDr. Arnold G. Fruchtenbaum ARIEL聖書注解シリーズ イザヤ書 The Book of Isaiah
私家訳版 イザヤ書 第11章 4.【主】のしもべの死、埋葬、復活ほかからの補足説明です
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
旧約聖書におけるメシア預言
イントロダクション
Ⅰ.律法
A.「女の子孫」
B.「アブラハム
C.「ユダの子孫」
D.「バラムの預言」
E.「モーセのような預言者」
F.律法のまとめ
Ⅱ.預言書
A.イザヤ書7:1~21 処女から生まれる
1.ダビデの家に対する脅威 イザヤ7:1~2
2.アハズ王へのメッセージ イザヤ7:3~9
3.解放のしるし イザヤ7:10~17
a.しるしの提供 7:10~11
b.しるしの拒否 7:12
c.ダビデの家に対するしるし 7:13~14
ヘブル語の「アルマー(乙女)」
d.アハズに対するしるし 7:15~17
4.アッシリヤの侵攻 イザヤ7:18~21
結論
B.イザヤ52:13~53:12 受難の僕
ユダヤ教の見解
1.見よ、わたしのしもべは栄える。52:13~15
2.私たちの聞いたことを、だれが信じたか。53:1~3
イザヤ52章~53章のまとめ
Ⅱ.預言書
B.イザヤ書
52:13∼53:12
受難の僕
セミナーテキスト11(13/15)ページ
イザヤ52章~53章のまとめ
この箇所は、
イスラエルの民に関する預言ではなく、
メシアに関する預言である。
まず内部に入る前に
このイザヤ書52章~53章のまとめを語り
なぜこの個所がメシア預言であるか
イスラエルの民に関する預言ではなくて
メシア預言なのかということを10の理由をあげる
[ユダヤ人と話すとこの預言はイスラエルの民に関する預言だと必ず言う
だからこの10の理由を知り
ユダヤ人伝道でこれはメシア預言だと言えるのと言えないのとでは全然違う]
正統派ラビたちはラシの視点を支持している。
しかし、ラシの視点は伝統的なユダヤ教の教えを反映しているわけではないことを理解しておく必要がある。
伝統的なユダヤ人の視点は、この章句はメシア(個人)についてであり、国家的(イスラエル)についてではないというものである。
ただ、そうするとメシアを苦しみを受ける方として描写する箇所と、勝利者としてエルサレムから国々を統治する方として描写する箇所の間で矛盾が生じる。
新約聖書を信じる者は、メシアは二度来ると知っているので、この矛盾を簡単に解くことができる。…
古代のラビは、~メシアは二人いると考えた。
最初のメシアのことを、ヨセフがエジプトで苦しみを受けた故事から「ヨセフの子」と呼んだ。このメシアは苦しみを受けて死ぬために来られ、イザヤ53章を含む「しもべ」についての預言を成就すると教えた。
二人目のメシア「ダビデの子」はその後に来て、最初のメシアをよみがえらせる。そしてダビデの子が御国を樹立し、統治するというのである。
ラビたちは、メシア預言には死と復活の教えがあることをしっかりと認識していた。
しかし、メシアは一度目は私たちの罪のために死ぬために来られ、二度目はエルサレムから統治するために来られるという正しい解釈には至っていなかった。
(1)古代のラビたちの見解
この箇所はイスラエルの民ではなくて
メシアをさすという見解が
古代のラビたちからずっと続いている
古代からユダヤ教のラビたちは
この箇所をメシア預言と理解していたということ
これが第一のポイント
注意して欲しいのはこれが
イエスの預言であるとは彼らは言っていない
これがメシア預言だと言っているだけ
伝統的なユダヤ教の解釈では
これはメシアに関する預言であると理解していた
1050年頃まで、昔ラビすべては、このセクションが個人について語っているという立場をとっており、大多数のユダヤ人学者は、これらの節をヨセフの子メシアに当てはめていた。
(2)「私たち」(複数形)と「彼」(単数形)の使い分け
第二番目に代名詞の使い方が違う
まず最初に
私たちwe 私たちのour 私たちをus と
複数形の代名詞がでてくるがこれは
イザヤとその同時代のユダヤ人たちを指すことば
それに対して彼はhe 彼のhim 彼をhis とかの
単数形のことばがでてくる
これがメシアを指している
イザヤともイスラエルとも異なる人物を指している。
(3)メシアは個人
三番目にこの人物メシアは一人の人物
ここではたとえや擬人法で語ったりはしていない
そのままひとりの人間
苦難のしもべで述べられる経験を国家がすることはできない。
国民全体が法廷で裁かれること、牢獄に入れられること、死刑になることはない。
そのようなプロセスを経るのは個人だけである。
(4)7節。
メシアの苦難は自発的なもの
セミナーテキストの訂正
誤:9節。 正:7節。
イザ 53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
この53:7は
メシアの苦難は自発的なものであったということ
イスラエルの民は自発的に苦しんだのではない
メシアの苦難は自発的で黙してこれに従っていく
イスラエルの民は迫害され
しかも黙ってはいなかった大声を上げていた
ここに違いがある
セミナーテキスト12ページ
(5)8節。
メシアは「わたしの民」のために死ぬ。
53:8でわたしの民(新改訳3)ということばがでてくる
イザ 53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
メシア個人はわたし(イザヤ)の民つまり
イスラエルの民のために死ぬ
(6)メシアは罪のない方
(4~6、8~9)。
イスラエルには罪がある
(1:4~8)
六番目にメシアは罪のない方として描かれている
それが4~6節 8~9節
イザ 53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
イザ 53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
53:9 彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。
53:9a 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。(新改訳3)
しかしメシアと違って
イスラエルはいつも自分の罪のために苦しんでいた
イザ 1:4 ああ、罪深い国びと、不義を負う民、
悪をなす者のすえ、堕落せる子らよ。
彼らは主を捨て、
イスラエルの聖者をあなどり、
これをうとんじ遠ざかった。
1:5 あなたがたは、どうして重ね重ねそむいて、
なおも打たれようとするのか。
その頭はことごとく病み、
その心は全く弱りはてている。
1:6 足のうらから頭まで、
完全なところがなく、
傷と打ち傷と生傷ばかりだ。
これを絞り出すものなく、包むものなく、
油をもってやわらげるものもない。
1:7 あなたがたの国は荒れすたれ、
町々は火で焼かれ、
田畑のものはあなたがたの前で外国人に食われ、
滅ぼされたソドムのように荒れすたれた。
1:8 シオンの娘はぶどう畑の仮小屋のように、
きゅうり畑の番小屋のように、
包囲された町のように、ただひとり残った。
(7)メシアは
罪の身代わりの死を遂げる
(4~6、8、10、12)、
イスラエルは
異邦人により苦しめられる。
7番目にメシアは罪の身代わりの死を遂げる
これが53:4~6 8 10 12節
4~6、8節は上述(6)
イザ 53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。(新改訳3)
イザ 53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。
しかしイスラエルは身代わりで苦しんだのではなくて異邦人により苦しめられた
異邦人のために苦しんだのではなくて
異邦人によって苦しめられた
(8)メシアの受難は、
義認と霊的な癒しをもたらす
(5b、11b)
メシアの受難はメシアを信じる人たちに
義認と霊的な癒しをもたらす
それが5節と11節に出てくる
イザ 53:5b 彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
イザ 53:11b 義なるわがしもべはその知識によって、
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
イスラエルが異邦人の為に苦しみ 異邦人を義とし霊的な癒しをもたらしたわけではない
(9)メシアは死ぬ
(8、12)が、
イスラエルの民は生き延びる。
メシアは8、12節で死ぬということが預言されている
イザ 53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
イザ 53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。
イザ 53:12aそれゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。(新改訳3)
しかしイスラエルは民族としてはいつも生き延びた
(10)メシアは復活する
(10~11節)。
十番目メシアは復活する
これが10,11節
イザ 53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。(新改訳3)
イザ 53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべはその知識によって、
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
イスラエルは民族として死に絶えたことはないので復活する可能性もない
もともと死に絶えてないのだから
復活する必要はない
今これを見たのはイザヤ書52章53章の内容に入る前にまず
ここの「主のしもべ」或いは
「主の御腕」といわれている人物は
イスラエル民族のことではなく
個人として来るメシアだということ
これを10の理由を挙げて説明した
今から詳しい内容に入っていくがそれをみると
確かにメシアはイスラエル民族ではなくて
個人だということがわかってくる
もう一つだけ付け加えておく
今から見ていくこの区分は5つの区分に分かれる
スタンザと言うが区分け
その区分けの中には3つ聖句がある
そしてその区分けの中に出てくる最初の聖句が
その中のテーマを表している文章
4つのしもべの歌はすべてヘブル語の詩の形式で書かれている。
3節ずつ5つの連からなり、各連の最初のフレーズがその連の主題になっている。
セミナーテキスト10ページにかえる
1.見よ、
わたしのしもべは栄える。
52:13~15
ここで神さまがご自分のしもべを紹介している
ここではいろいろな時制が使われている
イザ 52:13 見よ、わがしもべは栄える(未来)。
彼は高められ(未来)、あげられ(完了)、ひじょうに高くなる(完了)。
52:14 多くの人が彼に驚いたように――
彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、
その姿は人の子と異なっていたからである――
14節の動詞は一つ
「荒れ廃らせる、干上がらせる」(完了)
52:15 彼は多くの国民を驚かす。
イザ 52:15a そのように、彼は多くの国々に血を振りまく(未来)。(新改訳2017)
Isa 52:15a so shall he sprinkle many nations; (ASV)
Yeshayah(Isaiah) 52:15a He shall likewise startle many nations. (TS2009)
王たちは彼のゆえに口をつむぐ(未来)。
それは彼らがまだ伝えられなかった(完了)ことを見(完了)、
まだ聞かなかった(完了)ことを悟る(完了)からだ。
次の53:1以降は
次の2.3.4.という区分けが続く
2.私たちの聞いたことを、
だれが信じたか。
53:1~3
ここではメシアを受け入れなかったという
イスラエルの罪をイスラエルが自ら告白している
そこではヘブル語の文法の時制は完了形
イザ 53:1 だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。
53:2 彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
3.まことに、
彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
53:4~6
イザ 53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
4.彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、
口を開かない。
53:7~9
イザ 53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
53:9 彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。
53:9 ~彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。(新改訳3)
5.しかし、
彼を砕いて、痛めることは
主のみこころであった。
53:10~12
2.3.4.は完了形だが
5番目の10~12節ではまた時制がミックスしいろいろでてくる
苦難のしもべの神学をのべている。
イザ 53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり(完了)、
主は彼を悩まされた(完了)。
彼が自分を、とがの供え物となす(未来)とき、
その子孫を見る(未来)ことができ、
その命をながくする(未来)ことができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える(未来)。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て(未来)満足する(未来)。
義なるわがしもべはその知識によって、
多くの人を義とし(未来)、また彼らの不義を負う(未来)。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
53:12a それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え(未来)、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる(未来)。(新改訳3)
Isaiah 53:12a Therefore will I divide him a portion with the great, and he shall divide the spoil with the strong; (ASV)
Yeshayah(Isaiah) 53:12a Therefore I give Him a portion among the great, and He divides the spoil with the strong, (TS2009)
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし(完了)、
とがある者と共に数えられた(完了)からである。
しかも彼は多くの人の罪を負い(完了)、
とがある者のためにとりなしをした(未来)。
次回5つの区分けの内容を最後のまとめとして詳しく見ていく
メシア預言(12)2025年12/13へ
Ⅱ.預言書 B.イザヤ書52:13~53:12 受難の僕
アーノルド・フルクテンバウム博士著/佐野剛史訳
『メシア的キリスト論
ー旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯ー』
ハーベスト・タイム・lミニストリーズ出版部
今回のセミナーの内容はこの本のp.77~
そちらもゼヒお読みください。






