旧約聖書におけるメシア預言
レジュメ(10)2025年11/15
イザヤ53章はシナゴーグで読まれなくなった?
2007年フルクテンバウム博士セミナー
『旧約聖書におけるメシア預言』
THE MESSIAH OF THE OLD TESTAMENT
By Dr. Arnold Fruchtenbaum
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句箇所です
(セミナーでは新改訳3を使用しています)
(このHPでの引用聖句は原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は引用聖句や参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASV)
マロン色の文章はアーノルド・フルクテンバウム博士著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論
ー旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯ー』p.68~の抜粋補足説明です。
マゼンタ色の文章はDr. Arnold G. Fruchtenbaum ARIEL聖書注解シリーズ イザヤ書 The Book of Isaiah
私家訳版 イザヤ書 第11章 (3)より広い文脈ほかからの補足説明です
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
旧約聖書におけるメシア預言
イントロダクション
Ⅰ.律法
A.「女の子孫」
B.「アブラハム
C.「ユダの子孫」
D.「バラムの預言」
E.「モーセのような預言者」
F.律法のまとめ
Ⅱ.預言書
A.イザヤ書7:1~21 処女から生まれる
1.ダビデの家に対する脅威 イザヤ7:1~2
2.アハズ王へのメッセージ イザヤ7:3~9
3.解放のしるし イザヤ7:10~17
a.しるしの提供 7:10~11
b.しるしの拒否 7:12
c.ダビデの家に対するしるし 7:13~14
ヘブル語の「アルマー(乙女)」
d.アハズに対するしるし 7:15~17
4.アッシリヤの侵攻 イザヤ7:18~21
結論
B.イザヤ52:13~53:12 受難の僕
ユダヤ教の見解
1.見よ、わたしのしもべは栄える。52:13~15
2.私たちの聞いたことを、だれが信じたか。53:1~3
セミナーテキスト10(12/15)ページ
Ⅱ.預言書
B.イザヤ書52:13~53:12
受難の僕
イザヤ書で最もよく知られている有名な預言の箇所
イザヤ書52:13~53:12 受難のしもべ
おそらく皆さんがメシアニックジュー(ユダヤ人クリスチャン)にどうやって救われたかと言ったら
95%位はイザヤ書のこの箇所から決心した
という答えが返ってくると思う
(一方で、ユダヤ人は53章を知らない、という声がフォーラム参加者からあがりました。)
昔ラビはシナゴーグでイザヤ書53章を読んでいたが、
その章が「論争と大混乱」を引き起こしたのち、ラビは・・・朗読からその預言を取り除くことが最も簡単なことであると考えたことを認めている。
そのため今日、イザヤ書52章が読まれる時、読者はその章の途中でやめ、翌週にはイザヤ書54章まで一気に飛ばすのである。
ユダヤ教の見解
ユダヤ人伝道でこの箇所が非常に有効に使われるので
ユダヤ教のラビたちはそれを心配してこの個所の解釈を別の解釈をしなければいけないと一生懸命努力した
ミシュナとゲマラ(タルムード)
中世の時代まではユダヤ人たちはこの聖書の箇所を
メシア預言と理解してきた
イエスのことをいっているとは言わない
メシアに関する預言であると中世まではユダヤ人たちは理解してきた
ラシの新解釈(1050年頃)
11世紀の中頃ラシという人が出てきた
ユダヤ教の非常に有名なラビ
このラシという人が新しい解釈を提唱した
このイザヤ書の受難のしもべの預言は
イスラエル民族に関する預言であるという
新しい説がでてきた
当時のラビたちは大半がその新しい説を否定した
ラムバム(マイモニデス)の反論
同時代のラビでモーゼス・マイモニデスという人がいる
時にはラムバムと言われる人
彼はラシがこういう奇妙な新しい解釈をしたので自分は驚いたと反論している
マイモニデスはイザヤ書のこの受難のしもべは
メシアのことでありイスラエル民族ではないと
明確に言っている
しかし、キリスト教の伝道者がこの聖句を用いて伝道するようになると、キリスト教の教えに対抗する為にラビ達は次第にラシの説に傾いていった。
1800年以降のユダヤ教
ユダヤ人がこの個所をユダヤ民族に関する預言だと言い始めたのが1800年以降
今から「受難のしもべ」の預言をみていく
最初は広い文脈から見て
狭い文脈に入っていく
イザヤ書52:13~53:12の広い文脈は、
③つの関連した概念が展開されていることを示す。
①
イザヤがこのイザヤ書の最初1章を書き始めた時に
1:4~8でイザヤはイスラエルの民のことを傷、打ち傷、生傷に苦しむ霊的に重い病人に例えて
表現している
つまり霊的に病気で頭のてっぺんから足の先まで全部病んでいる状態だと表現している
イザ 1:4 ああ、罪深い国びと、不義を負う民、
悪をなす者のすえ、堕落せる子らよ。
彼らは主を捨て、
イスラエルの聖者をあなどり、
これをうとんじ遠ざかった。
1:5 あなたがたは、どうして重ね重ねそむいて、
なおも打たれようとするのか。
その頭はことごとく病み、
その心は全く弱りはてている。
1:6 足のうらから頭まで、
完全なところがなく、
傷と打ち傷と生傷ばかりだ。
これを絞り出すものなく、包むものなく、
油をもってやわらげるものもない。
1:7 あなたがたの国は荒れすたれ、
町々は火で焼かれ、
田畑のものはあなたがたの前で外国人に食われ、
滅ぼされたソドムのように荒れすたれた。
1:8 シオンの娘はぶどう畑の仮小屋のように、
きゅうり畑の番小屋のように、
包囲された町のように、ただひとり残った。
イザヤがイスラエルの民を表現するために使ったのと同じ言葉をこの受難のしもべを表現するのに使っている
イスラエルの民が持っていたこういう否定的な
マイナス要因を全てメシアが背負いそれを解決し癒すために来てくださったという論理展開になっていく
傷、打ち傷、生傷によって、しもべは国をいやす為に来たのである。
②
イザヤ40章以降、預言者は主の御腕の概念を発展させている。
イザヤ書は40章以降二つのテーマが並行して
展開される
①主(ヤハウェ)のしもべというテーマ
②主(ヤハウェ)の御腕というテーマ
このアウトライン(セミナーテキスト)には
3つのしもべに関する預言がまず出てくる
これは主のしもべと呼ばれる最初のテーマ①に関する3つの聖句で
まず主のしもべが栄えるというテーマ
イザヤ52:13~13:12は、以下のように
5つのセクション(今回は2まで)に分けることができる。
各セクションは3つの節から成り、それぞれの冒頭の文がタイトルになっている。
1.見よ。
わたしのしもべは栄える。
52:13~15
イザ 52:13a 見よ。わたしのしもべは栄える。(新改訳3)
Behold, my servant shall deal wisely,
再度次の次の回でここに戻り
その時に52:13~を1節ずつみていく
52:13~15
イザ 52:13 見よ、わがしもべは栄える。
彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。
52:14 多くの人が彼に驚いたように――
彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、
その姿は人の子と異なっていたからである――
52:15 彼は多くの国民を驚かす。
王たちは彼のゆえに口をつむぐ。
それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、
まだ聞かなかったことを悟るからだ。
メシアは三つのグループの人を祝福するために
やって来る
1.神様がイスラエルに与えた契約の全てを成就するためにメシアがやってくる
2.イスラエルを祝福するためだけではなくて
メシアは異邦人(ユダヤ人以外の人)の光となる為にもやってくる
3.? 患難期の聖徒?
③
主の御腕と並行して、主のしもべの概念も展開された。
イザヤ書42章
最初のしもべの歌 イザヤ42:1~9
42:1~6
イザ 42:1 わたしの支持するわがしもべ my servant 、
わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
わたしはわが霊を彼に与えた。
彼はもろもろの国びと the Gentiles に道をしめす。
しもべの使命はユダヤ人と異邦人の両方に利益をもたらすことである。
42:2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、
その声をちまたに聞えさせず、
42:3 また傷ついた葦を折ることなく、
ほのぐらい灯心を消すことなく、
真実をもって道をしめす。
42:4 彼は衰えず、落胆せず、
ついに道を地に確立する。
海沿いの国々はその教を待ち望む。
42:5 天を創造してこれをのべ、
地とそれに生ずるものをひらき、
その上の民に息を与え、
その中を歩む者に霊を与えられる
主なる神はこう言われる、
42:6 「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。
わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。
わたしはあなたを民の契約 a covenant of the people とし、
もろもろの国びとの光 a light of the Gentiles として与え、
今言った2つのことつまり
1.イスラエルに与えられた契約を成就し
2.異邦人(イスラエル、ユダヤ人以外の人)の光となる為にメシアが来る
この2つのことがイザヤ書42章で語られている
しかしイザヤ書42章を見る限りは
どうしてイスラエルの契約を成就し
同時に異邦人の光となれるのか
どのようにしてその2つが成就するのか
書かれていない
また時間的にどちらが先でどちらが後か
ということも書かれていない
メシアはその使命を成就するのに大いなる苦難を通過してその使命を成就すると書かれてある
2番目のしもべの歌 49:1~13
49:1~13
イザ 49:1 海沿いの国々よ、わたしに聞け。
遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。
主はわたしを生れ出た時から召し、
母の胎を出た時からわが名を語り告げられた。
49:2 主はわが口を鋭利なつるぎとなし、
わたしをみ手の陰にかくし、
とぎすました矢となして、
箙にわたしを隠された。
49:3 また、わたしに言われた、
「あなたはわがしもべ my servant 、
わが栄光をあらわすべきイスラエルである」と。
49:4 しかし、わたしは言った、
「わたしはいたずらに働き、
益なく、むなしく力を費した。
しかもなお、まことにわが正しきは主と共にあり、
わが報いはわが神と共にある」と。
1~4節
メシアはご自分の民から拒否されるようになる
という預言がでてくる
しもべの使命は、イスラエルに拒絶されるという困難を伴った。
49:5 ヤコブをおのれに帰らせ、
イスラエルをおのれのもとに集めるために、
わたしを腹の中からつくって
そのしもべ his servant とされた主は言われる。
(わたしは主の前に尊ばれ、
わが神はわが力となられた)
49:6 主は言われる、
「あなたがわがしもべ my servant となって、
ヤコブのもろもろの部族をおこし、
イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、
いとも軽い事である。
わたしはあなたを、もろもろの国びとの光 a light to the Gentiles となして、
わが救を地の果にまでいたらせよう」と。
49:7 イスラエルのあがない主、
イスラエルの聖者なる主は、
人に侮られる者、民に忌みきらわれる者、
つかさたちのしもべ a servant of rulers にむかってこう言われる、
「もろもろの王 Kings は見て、立ちあがり、
もろもろの君 princes は立って、拝する。
これは真実なる主、イスラエルの聖者が、
あなたを選ばれたゆえである」。
5~7節
イスラエルによって拒否された結果
メシアは異邦人の光となる
49:8 主はこう言われる、
「わたしは恵みの時に、あなたに答え、
救の日にあなたを助けた。
わたしはあなたを守り、
あなたを与えて民の契約 a covenant of the people とし、
国を興し、荒れすたれた地を嗣業として継がせる。
49:9 わたしは捕えられた人に『出よ』と言い、
暗きにおる者に『あらわれよ』と言う。
彼らは道すがら食べることができ、
すべての裸の山にも牧草を得る。
49:10 彼らは飢えることがなく、かわくこともない。
また熱い風も、太陽も彼らを撃つことはない。
彼らをあわれむ者が彼らを導き、
泉のほとりに彼らを導かれるからだ。
49:11 わたしは、わがもろもろの山を道とし、
わが大路を高くする。
49:12 見よ、人々は遠くから来る。
見よ、人々は北から西から、
またスエネの地から来る」。
49:13 天よ、歌え、地よ、喜べ。
もろもろの山よ、声を放って歌え。
主はその民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ。
8~13節
その後、しもべは異邦人への光となる。
しかし三番目に
イスラエルはその後メシアを自分たちの主として受け入れるようになり
神がイスラエルに与えた契約がすべて成就するようになるという預言がでてくる
人々は土地に帰り土地に人々が住むようになる
という約束の成就がここに書かれてある
イザヤ書の49章をもう一回確認してみよう
42章で
イスラエルの契約を成就するメシア
異邦人の光となるメシア
この二つの内容をより詳しく説明しているのが
イザヤ書49章
メシアは拒否される
次に異邦人によって受け入れられる
最後にイスラエルがメシアを受け入れるようになる
このステップがイザヤ書49章に書かれてある
だからメシアがイスラエルの契約を成就するということと異邦人の光となるということは同時に起こるのではなくて
まず異邦人の光になるということが起こり
それに続いてイスラエルの契約が成就することが起こるとイザヤ書49章からわかる
まず異邦人の光となり
次にイスラエルの民の契約となる
これがメシアの働きの時間的な順番
それから次の三番目
3番目のしもべの歌 イザヤ50:4~9
50:4~9
イザ 50:4 主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、
疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、
また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、
教をうけた者のように聞かせられる。
50:5 主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは、そむくことをせず、退くことをしなかった。
50:6 わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、
わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、
恥とつばきとを避けるために、
顔をかくさなかった。
50:7 しかし主なる神はわたしを助けられる。
それゆえ、わたしは恥じることがなかった。
それゆえ、わたしは顔を火打石のようにした。
わたしは決してはずかしめられないことを知る。
50:8 わたしを義とする者が近くおられる。
だれがわたしと争うだろうか、
われわれは共に立とう。
わたしのあだはだれか、
わたしの所へ近くこさせよ。
50:9 見よ、主なる神はわたしを助けられる。
だれがわたしを罪に定めるだろうか。
見よ、彼らは皆衣のようにふるび、
しみのために食いつくされる。
メシアが大いなる苦難にあうとでてくる
なぜメシアが苦難に遭うのかという
その理由はここではでてこない
50:4~9によると
しもべは理由もなく身体的虐待を受けることになる。
イザヤ52:13~53:12はその苦難の理由を述べ、しもべの死、埋葬、復活を詳述している。
4番目のしもべの歌 52:13~53:12
52:13~53:12
イザ 52:13 見よ、わがしもべ my servant は栄える。
彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。
52:14 多くの人が彼に驚いたように――
彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、
その姿は人の子と異なっていたからである――
52:15 彼は多くの国民を驚かす。
王たちは彼のゆえに口をつむぐ。
それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、
まだ聞かなかったことを悟るからだ。
52:13~15は、
53章のまとめとなっている。
裏返すと、53:1~12が、
52章の3つの節の詳細な説明となっている。
イザ 53:1 だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕 the arm of Jehovah は、だれにあらわれたか。
53:2 彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
53:9 彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。
53:9 ~彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。(新改訳3)
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべ my righteous servant はその知識によって、
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
53:12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。(新改訳3)
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。
いよいよメシアの苦難がメシアの死につながる
またメシアがなぜ苦しむのかが解説されていく
イザヤ書61:1~3のちほど取り上げるが
ここでも同じテーマが展開される
イザヤが40章以降書き続けてきたテーマは
主のしもべというテーマ
第二番目にイザヤが展開してきたテーマは
主の御腕というテーマ
4つのしもべの歌はすべてヘブル語の詩の形式で書かれている。(次回につづく)
2.私たちの聞いたことを、
だれが信じたか。
53:1~3
イザ 53:1 だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕 the arm of Jehovah は、だれにあらわれたか。
53:2 彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
ここも次の次の回以降に1節ずつ見ていきます。
53:1
イザ 53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
【主】の御腕は、だれに現れたのか。
Isa 53:1 Who has believed our message?
and to whom has the arm of Jehovah been revealed?
これに関連した聖句をここに記してある
イザヤ書40:10
イザ 40:10 見よ、主なる神は大能をもってこられ、
その腕 his arm は世を治める。
見よ、その報いは主と共にあり、
そのはたらきの報いは、そのみ前にある。
主は その御腕で統べ治める。(新改訳3)とある
その御腕ということばがでてくる
御腕は神のために支配する。
これまでにイザヤはこの御腕について、神のために統治し(40:10)、
51:5
イザ 51:5 わが義はすみやかに近づき、
わが救は出て行った。
わが腕 mine arms はもろもろの民を治める。
海沿いの国々はわたしを待ち望み、
わが腕 mine arms に寄り頼む。
わたしの腕は国々の民をさばく。(新改訳3)
これは異邦人のこと
島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に拠り頼む。(新改訳3)
主の腕に拠り頼むとある
異邦人はその御腕に信頼を置く。
異邦人が依り頼み(51:5)、
51:9
イザ 51:9 主のかいなよ、O arm of Jehovah;
さめよ、さめよ、力を着よ。
さめて、いにしえの日、昔の代にあったようになれ。
ラハブを切り殺し、
龍を刺し貫いたのは、あなたではなかったか。
イザ 51:9 さめよ。さめよ。力をまとえ。【主】の御腕よ。(新改訳3)
ここで【主】の御腕ということばがでてくる
【主】の御腕が民を贖うということば
御腕はあがなうものである。
救出し(51:9)、
救いをもたらす方(51:9)と語っていた。
52:10
イザ 52:10 主はその聖なるかいなを、
もろもろの国びとの前にあらわされた。
地のすべての果は、われわれの神の救を見る。
Isa 52:10 Jehovah has made bare his holy arm In the eyes of all the nations; and all the ends of the earth have seen the salvation of our God.
【主】はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現した。(新改訳3)
御腕によって異邦人を救うということばが
ここにでてくる
イザヤ書40章以降
2つのこのテーマが展開される
一つはさっき見た主のしもべというテーマ
二つ目は主の御腕というテーマ
そして今論じてるこの53章に入って初めて
主のしもべということばと
主の御腕ということばが
同じ一つの人物を指していることが明らかになる
52:13~15
イザ 52:13 見よ、わがしもべ my servant は栄える。
彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。
52:14 多くの人が彼に驚いたように――
彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、
その姿は人の子と異なっていたからである――
52:15 彼は多くの国民を驚かす。
王たちは彼のゆえに口をつむぐ。
それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、
まだ聞かなかったことを悟るからだ。
52:13ではこのメシアは主のしもべと呼ばれる
イザ 52:13a 見よ。わたしのしもべ my servant は栄える。(新改訳3)
53:1では、主の御腕と呼ばれる
イザ 53:1b 【主】の御腕 the arm of Jehovah は、だれに現れたのか。(新改訳3)
イザヤ53:1は御腕としもべが同一であることを明らかにしている。
これが広い文脈
直近の文脈
人類に贖いをもたらすお方は
ご自身の血を流すことによって贖いをもたらす
ということがここで展開されていく
52:3
イザ 52:3 主はこう言われる、
「あなたがたは、ただで売られた。
金を出さずにあがなわれる」。
Isa 52:3 For thus says Jehovah, You were sold for nought; and you shall be redeemed without money.
ここで金を払わずに買い戻される。(新改訳3)
この買い戻すということばは
贖い(あがない)ということばだが
実際に金を払うのではなく
メシアの血によって贖われる
買い戻されるという預言がでてくる
イザヤ52:3で、神はあがないがなされることを
約束されたあが、それは金を払わずにというものだった。
イザヤ52:13~53:12は、贖いの代価が何であるかを明らかにするのである。
それを今から見ていこう
次回につづく
メシア預言(11)2025年11/29へ
Ⅱ.預言書 B.イザヤ書52:13~53:12 受難の僕
イザヤ52~53章のまとめ
アーノルド・フルクテンバウム博士著/佐野剛史訳
『メシア的キリスト論
ー旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯ー』
ハーベスト・タイム・lミニストリーズ出版部
今回のセミナーの内容はこの本のp.68~
そちらもゼヒお読みください。






