三位一体についての学びレジュメ(4)2025年1/11
聖書の神は複数存在する?
2007年フルクテンバウム博士セミナー
『三位一体とは何か』についての学び
THE TRINITY
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です
(セミナーでは新改訳3を使用しています)
(ここでは原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASVです)
茶色の文章はDr. Arnold G. Fruchtenbaum『A MESSIANIC BIBLE STUDY FROM ARIEL MINISTRIES』MBS050 THE TRINITY翻訳メモからの補足説明です
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
三位一体
イントロダクション
定義 アリウス主義 サベリウス主義 ソッツッーニ主義 ユニテリアン主義 三神論
Ⅰ.神の位格の複数性
A.旧約聖書において
1.エロヒムという複数形の名詞
2.エロヒムに使われる動詞が複数形になっている箇所
3.エロヒムが二位格に適用されている箇所
4.ヤハウェが二位格に適用されている箇所
5.アドナイという複数形の名詞
6.複数形の代名詞
7.複数形の形容詞
8.主の御使い
9.神の子
10.神人という概念
11.聖霊
B.新約聖書において
セミナーテキスト4ページ(5/13)
Ⅰ.神の位格の複数性
THE PLURALITY OF THE GODHEAD
A.旧約聖書において
The Plurality of the Godhead in the Old Testament
旧約聖書における神格の複数性を証明する第9の証拠は、旧約聖書の二つの章句に見られる神の子という概念である。
9.神の子
The Son of God
旧約聖書で神の位格の複数性を示す神の子という概念
a.詩篇2篇
Psalm 2
特に詩2:7~12にこのことばがでてくる
詩 2:7 「わたしは【主】の定めについて語ろう。
主はわたしに言われた。
『あなたは、わたしの子。
きょう、わたしがあなたを生んだ。
2:8 わたしに求めよ。
わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、
地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、
焼き物の器のように粉々にする。』」
2:10 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。
地のさばきづかさたちよ、慎め。
2:11 恐れつつ【主】に仕えよ。
おののきつつ喜べ。
2:12 御子に口づけせよ。
主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。
怒りは、いまにも燃えようとしている。
幸いなことよ。
すべて主に身を避ける人は。
(新改訳3)
7節
~主はわたしに言われた。
『あなたは、わたしの子。
きょう、わたしがあなたを生んだ。
ヤハウェ自身があなたは、わたしの子と呼びかけている
或る人はこの箇所を ダビデのことをわたしの子と神が言っていると説明する
ところが8節9節
2:8 わたしに求めよ。
わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、
地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、
焼き物の器のように粉々にする。』」
確かにダビデは支配したがその王国の領域は地の果て果てまでも広がってない
イスラエルを中心に少し広がっただけ
イスラエルの周辺国のいくつかは征服したがすべてを征服したわけではない
エジプトは独立を保っていた
今レバノンと呼ばれている地 かつてのフェニキアの王と平和条約は結んだがそこを支配していたわけではない
だから神さまがわたしの子と呼んでいるのはダビデでないことは明らか
このわたしの子と呼ばれる人物が地の果て果てまで支配するから
また12節に行くと
2:12 御子に口づけせよ。
主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。~
Psa 2:12 Kiss the Son, lest he be angry, and you perish in the way,~
と命じられている
罪の赦しを得るために御子の前に礼拝を捧げるということ
詩篇2篇から神の子が普通の人ではないことを説明した
神の御子が存在することを明確に教えている。
もう少し詳しくこの言葉が説明されている
旧約聖書で神の位格の複数性を示す神の子という概念
b.箴言30:4
Proverbs30:4
箴 30:4 だれが天に上り、また降りて来ただろうか。
だれが風をたなごころに集めただろうか。
だれが水を衣のうちに包んだだろうか。
だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。
その名は何か、その子の名は何か。
あなたは確かに知っている。
(新改訳3)
6種類の質問を投げかけている
最初の4つが天地創造に関する質問で
天地創造の神がつくったという答えが出てくる質問
①
だれが天に上り、また降りて来ただろうか。
②
だれが風をたなごころに集めただろうか。
③
だれが水を衣のうちに包んだだろうか。
④
だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。
ユダヤ人がこの箇所を読むと答えは明確
それは創世記1章2章で天地を創造したエロヒム
⑤
その名は何か。
その名はヤハウェという名前
次が問題
⑥
その子の名は何か。
それに対する答えはこの段階ではまだ啓示されてない
メシアのさまざまな名前はのちに預言者たちにおいて明らかにされるが、それは箴言が書かれた時代よりも後のことである。
この箴言30:4~からわかるのは
神には子どもがいるが
その名が何であるかは啓示されていないということ
神に子どもがいるとは
神が複数の存在でいるという可能性を示唆している
セミナーテキスト5ページ
10.神人という概念
The God-Man Concept
旧約聖書における神格の複数性を証明する第10の証拠は、旧約聖書が神人概念も教えているという事実である。
これは様々な例にみられる。
神であり人であるという概念
ここでは4つ聖句を挙げている
旧約聖書で神の位格の複数性を示す神人という概念
a.創世記4:1
Genesis4:1
ここはあまり詳しくは説明しないことにする
明日のメシア預言(2007年フルクテンバウム博士セミナー『旧約聖書におけるメシア預言』)ではこの箇所が非常に重要な箇所として説明されるから
創世記4:1
創 4:1 人は、その妻エバを知った。
彼女はみごもってカインを産み、
「私は、【主】によってひとりの男子を得た」
と言った。
(新改訳3)
Gen 4:1 and the man knew Eve his wife; and she conceived, and bare Cain, and said, I have gotten a man with the help of Jehovah.
人は、人というのはアダム
今私が持っている英語の聖書ではここはこういう訳になっている
エバがカインを産んだあとこう言う。
私はヤハウェの助けによってひとりの男子を得た。
日本語では「私は、【主】によってひとりの男子を得た」
訳が似ている
しかしこの英語の訳を見ると主の助けによってという箇所がイタリックになっている
イタリックとは原文にはないが訳す人がそこはそういう言葉を継ぎ足さないと意味不明になるのでつぎ足してますよという意味
日本語ではそれはわからない
ヘブル語を聖書を正しく訳すとどうなるか
エバはこう言う
私はひとりの男の子を得た、ヤハウェを得た。
という訳になる
【主】を得た。
男の子とヤハウェという言葉が並列になる
男の子を産んだとは人間を産んだということ
ヤハウェを産んだとは神を産んだということ
エバがなぜそういう言葉を言ったかというと
創世記3:15でメシアが生まれるという預言が語られている
創 3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
(新改訳3)
そしてその預言に基づけば女から生まれる女の子孫という人物が人類の罪を取り除くという約束がエバに与えられている
それでエバは最初の子どもカインを産んだ時に神であり人である子を産んだと理解した
ここに神人
神であり人であるという概念の登場が見られる
今わからなくていい『旧約聖書におけるメシア預言』セミナーでもっと詳しくここは説明する
初子を産んだ時、彼女はカインが創世記3:15の成就だと思った。
彼女の神学は全く正しかった。
その適用に誤りがあった。
最初の人間の誕生によって、メシアは神であると同時に人であるという理解がすでにあったことに注意すべきである。
だから神人概念は創4:1より早くも存在するのである。
旧約聖書で神の位格の複数性を示す神人という概念
b.イザヤ9:6~7
Isaiah9:6-7
イザ 9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
ダビデの王座に着いて、その王国を治め、
さばきと正義によってこれを堅く立て、
これをささえる。今より、とこしえまで。
万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。
(新改訳3)
Isa 9:6 For unto us a child is born, unto us a son is given; and the government shall be upon his shoulder; and his name shall be called Wonderful, Counsellor, Mighty God, Everlasting Father, Prince of Peace.
~
6節
ひとりのみどりごがユダヤ人たちの間に生まれるというここの部分は
生まれてくる子どもの人間性が強調されている
ところが6節の後半
この人物を表現するのにあの神に適用されるべき言葉がでてくる
二番目と三番目の呼び方
力ある神、永遠の父、
これは神を指していることは明らか
「永遠の父」をより文字通りに言えば「永遠を支配する方」
一番目の呼び方が
不思議な助言者、
この不思議という言葉はさっき(前回8.主の御使い(8))英語では何だと言いました?wonderful
不思議な助言者つまり最初の呼び方自体がもう神を表わしている
英語ではwonderfulという言葉は人間にも使うが
へブル語では神さまにしか使わない幾つかの言葉がありそのうちの一つがこの不思議wonderfulという言葉
もう一つの例)
へブル語で創造するという言葉
物をつくる創造するという言葉は神さまだけに適用する言葉で人間にその動詞は使わない
現代へブル語では人間のことをクリエイティブ創造的だと言っていい
しかし古典へブル語では人のことをクリエイティブという言い方はない
神のみ
同じようにワンダフル ヘブル語でペリーという言葉は神さまにのみ使う言葉
イザヤ書9:6最初の呼び名「不思議な助言者」これは神のみに使う言葉
四番目の
平和の君という言葉は4つの名の中で唯一人にも神にも使える
イザヤはここでは神の呼び名として使っている
つまりこの6節の前半が人間性
後半が神であることを表現しているので
生まれてくる人物は神であり人である神人という概念がここで表現されている
旧約聖書で神の位格の複数性を示す神人という概念
c.エレミヤ書23:5~6
Jeremiah23:5-6
エレ 23:5 見よ。その日が来る。
──【主】の御告げ──
その日、わたしは、
ダビデに一つの正しい若枝を起こす。
彼は王となって治め、栄えて、
この国に公義と正義を行う。
23:6 その日、ユダは救われ、
イスラエルは安らかに住む。
その王の名は、
『【主】は私たちの正義』と呼ばれよう。
(新改訳3)
最初の節5節と6節の前半
ダビデに子供が生まれてその人物が王となり
イスラエルの国を治めるという約束
ところが6節の最後
その王の名は、『【主】は私たちの正義』
ヤハウェは私たちの正義 と呼ばれている
ダビデから出てくる子孫の一人が
ヤハウェという名前を持っている
ということはつまり神であり人であるという概念がここでも預言されているということ
最後の例
旧約聖書で神の位格の複数性を示す神人という概念
d.ゼカリヤ書13:7
Zechariah13:7
ゼカ 13:7 剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、
わたしの仲間の者を攻めよ。
──万軍の【主】の御告げ
~
(新改訳3)
Zec 13:7 Awake, O sword, against my shepherd, and against the man that is my fellow, says Jehovah of hosts: ~
わたしの牧者、わたしの仲間の者
この人物の人間性を表現している
目をさましてわたしの牧者を攻め、
これは人間性を表現している
ところがへブル語で次のわたしの仲間の者 my fellow と書いてある
わたしの同僚 my associate となっている訳もある。
全く同等のものイコールの存在のことを仲間の者とへブル語で言う
ということは話し手である万軍の【主】神ご自身とイコールの者がここで言われているわたしの牧者であるということ
これもまた神であり人であるという概念を表わしている聖句
これらのことを総合するとすべて神は複数存在しているということがわかってくる
11.聖霊
The Holy Spirit
今旧約聖書から神が複数いるということを証明しようとしている
11番目が聖霊に関する聖句
無数に例を挙げることができるが今日はここに書いてある6カ所だけ取り上げる
特に聖霊が神であることを教えている聖句
旧約聖書における神格の複数性を証明する第11の証拠は、聖霊の頻繁な出現である。
聖霊は神としてみられることもあれば、神格の中の一つの位格として見られることもある。
旧約聖書における聖霊の頻繁な出現もまた、神格の複数性を示す証拠である。
旧約聖書で神の位格の複数性を示す聖霊
創世記1:2
創 1:2 ~神の霊が水の上を動いていた。
(新改訳3)
Gen 1:2 ~ and the Spirit of God moved upon the face of the waters.
聖霊が創造のみわざに参加したということ
神の霊が深淵の闇の上で雌鶏のように卵を抱きあるいは空中に浮遊していた。
聖霊は天地創造に関わったのであり、天地創造は神のみわざなのである。
旧約聖書で神の位格の複数性を示す聖霊
出エジプト記31:3
出 31:3 彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。
(新改訳3)
Exo 31:3 and I have filled him with the Spirit of God, in wisdom, and in understanding, and in knowledge, and in all manner of workmanship,
ここではエロヒムという名前で聖霊が呼ばれている
神の霊と書かれてある聖霊のこと
旧約聖書で神の位格の複数性を示す聖霊
ヨブ記26:13
ヨブ 26:13 その息 his Spirit をもって天を晴れわたらせ、
その手をもって逃げるへびを突き通される。
聖霊が天地創造のみわざに参加したと書かれている
(英語訳では6節に神 God がでてくるだけで、それ以降はずっとHeかhisという表記です。
口語訳以外の日本語訳ではそのHeやhisを「神は」「神の」と訳しています。ところがこの13節だけ「神の」ではなく「その」という訳になっていて、神の息なのかははっきりとわかりません。新共同訳では「風」となっています。)
旧約聖書で神の位格の複数性を示す聖霊
詩篇51:11
詩 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
(新改訳3)
Psa 51:11 Cast me not away from your presence; And take not your holy Spirit from me.
聖霊が聖なる霊 holy Spirit ということばで表現されている
11節
ダビデが祈っている
旧約時代はこれでよかった。
新約時代の私たちはこの祈りをする必要がない
中川牧師による注解
[新約時代 ペンテコステ以降 私たちイエスさまを信じた者のうちには御霊が宿っていて離れることはないから]
旧約聖書で神の位格の複数性を示す聖霊
詩篇139:7
詩 139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。~
(新改訳3)
Psa 139:7 Whither shall I go from your Spirit? ~
御霊がどこにいるか
遍在
遍在しているとは神自身だということ
旧約聖書で神の位格の複数性を示す聖霊
イザヤ11:2
イザ 11:2 その上に、【主】の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、
主を知る知識と【主】を恐れる霊である。
(新改訳3)
Isa 11:2 And the Spirit of Jehovah shall rest upon him, the spirit of wisdom and understanding, the spirit of counsel and might, the spirit of knowledge and of the fear of Jehovah.
聖霊ご自身が【主】ヤハウェという御名で呼ばれている
今までで旧約聖書を見てきて開いた数多くの箇所が神は複数いる
あるいは複数の形で存在しているということが証明できたと思う
セミナーテキスト6ページ
B.新約聖書
The Plurality of the Godhead in the New Testament
新約聖書においても同じことが教えられている
新約聖書では神のことをギリシャ語でセオスという
第2のカテゴリーとして、新約聖書でも、一つの位格より多く神と呼ばれている点で、神格の複数性が教えられている。
父なる神が神と呼ばれている
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 父なる神が神と呼ばれている
ヨハネの福音書6:27
ヨハ 6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。
この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
(新改訳3)
Joh 6:27 Work not for the food which perishes, but for the food which abides unto eternal life, which the Son of man shall give unto you: for him the Father, even God, has sealed.
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 父なる神が神と呼ばれている
ガラテヤ1:1、3
ガラ 1:1 人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、
Gal 1:1 Paul, an apostle (not from men, neither through man, but through Jesus Christ, and God the Father, who raised him from the dead),
ガラ 1:3 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
Gal 1:3 Grace to you and peace from God the Father, and our Lord Jesus Christ,
父なる神が神と呼ばれている
子なる神もまた神と呼ばれている
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 子なる神もまた神と呼ばれている
ヨハネ1:1
ヨハ 1:1 初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
(新改訳3)
Joh 1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
ヨハ 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。
Joh 1:14 And the Word became flesh, and dwelt among us (and we beheld his glory, glory as of the only begotten from the Father), full of grace and truth.
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 子なる神もまた神と呼ばれている
ローマ9:5
ロマ 9:5 父祖たちも彼らのものです。
またキリストも、人としては彼らから出られたのです。
このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。
アーメン。
(新改訳3)
Rom 9:5 whose are the fathers, and of whom is Christ as concerning the flesh, who is over all,
God blessed for ever. Amen.
子なる神が神と呼ばれている
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 子なる神もまた神と呼ばれている
テトス2:13
テトス 2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。
Tit 2:13 looking for the blessed hope and appearing of the glory of the great God and our Savior Jesus Christ;
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 子なる神もまた神と呼ばれている
1ヨハネ5:20
一ヨハ 5:20 さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。
そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。
このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。
1Jo 5:20 And we know that the Son of God is come, and has given us an understanding, that we know him that is true, and we are in him that is true, even in his Son Jesus Christ. This is the true God, and eternal life.
この箇所でも子なる神が神と呼ばれる
また聖霊なる神も神と呼ばれる
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 聖霊なる神もまた神と呼ばれている
使徒の働き5:3~9
使 5:3 そこで、ペテロが言った、
「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
5:4 売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。
どうして、こんなことをする気になったのか。
あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。
5:5 アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。
このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。
初代教会で罪を犯したアナニヤとサッピラの物語
この物語ではペテロが彼らを糾弾する
最初は聖霊を欺いて lie to the Holy Spirit という言葉を使っているが後半では神を欺いた lied ~ unto God. ということばになる
聖霊と神が同じ言葉として使われている
ペテロは聖霊が神自身であることを理解していた
新約聖書における神の位格の複数性の証拠 聖霊なる神もまた神と呼ばれている
Ⅱコリント3:17
Ⅱコリ 3:17 主は御霊です。
そして、主の御霊のあるところには自由があります。
(新改訳3)
2Co 3:17 Now the Lord is the Spirit: and where the Spirit of the Lord is, there is liberty.
聖霊は神と呼ばれている
旧約でも新約でもこれではっきり分かるのは聖書の神は複数存在するということ
しかしそれらのことから神は唯一ではなく複数存在するという結論を出していいのか?
神が複数存在するという結論を出してはいけない
今からそれをみていく
聖書は神が唯一であることも同時に教えている
それが次回Ⅱ.神の位格の単一性
三位一体(5)2025年1/25へ
Ⅱ.神の位格の単一性