本日、第18回ナオミ会を開催しました。参加者は6名(事務局1名を含む)でした。
【テーマ】 待ち望み
【聖句】 詩篇 130:5 “わが魂は夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます”
子供が生まれる、結婚するという待ち望みもあるけれども、私たちの年代では、自分の中から湧き上がてくる究極的な待ち望みがある。それを周りに伝えていく情熱に駆り立てられ、そのことが自分の中の力になっていく。そのような皆さんがパッションを持って待ち望んでいることについて、分かち合いました。
- ニュースを見ても、あきれ果てることが多く、無力感の中にありますが、主がもうすぐ来られるという期待があることに、自分の内に明るさが戻てくる。この主を待ち望む素晴らしさ、聖書の中にこの約束があることは、抑えることのできない喜び、感謝、賛美となっている。
- 何をしても、そこに私たちを待って迎え入れてくださる方がおられる。私がずっと勉強させていただきたいと思っていたアガペーの愛もそこに全部集約されます。クリスチャン、万歳です!何があっても、主を信じているから大丈夫と思っています。
- 「わが魂は夜回りが暁を待つにまさって」の夜回りについて調べ、「城壁の見張り人」のことを言っていることが分かりました。夜中に危険なものが攻めてくる中、見張りは、ただ夜明けが来るまで単に時間をつぶすのではなく、緊張感を持ってその仕事を全うするところに、すごい責任感と夜明けへの期待感があり、それを比ゆ的に「夜回りが暁を待つにまさって(明かりがさすときに希望がやってきて、闇が消え去る)」と言っていると解説されていました。そのあとの聖句に「イスラエルよ。主を待て。主には恵があり、豊かな贖いがある。主は全ての不義からイスラエルを贖い出される。」とあります。勝利があるものを私たちは待ち望むと言っている。聖書を学ぶ者が待ち望む希望というものは、神から来る真理である。ということに確信をいただきました。
- 詩編62篇8節「民よどんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」は、私の愛唱句です。どんなときにも神に信頼しようと思っています。私が一番年上なので、時が短いですが、たとえ命がなくなったかなと思うときにも、神様に受け止められて、行くべきところを備えてくださっている。私たちは、ああしてほしい、こうしてほしいと祈りの課題がいっぱいありますが、主を待ち望んで、主に期待して、与えられているこの人生最後まで主に信頼して歩んでいきたいなと今日も思わされました。
- 礼拝や聖書の学び、クレイのディボーションや皆さんとの交わりを通して、御ことばから主の愛が流れ出てきて、言葉に出来ないほど主への愛が深められ満たされていく。自分の空っぽの中に主が入ってくださっている。こうして主を待ち望む姿勢にしてくださっている。自分の願いについても、主の栄光に向かって目を上げ、祈りを捧げていくことは、どんなに大事か。その結果、謙遜にさせられ、主が教えてくださったことに忠実に歩んでいきながら、主を全身全霊で主を待ち望みたい。
- 1973年の贖罪の日に、ヨムキプール戦争が起こりました。当時、アメリカはニクソン大統領で、イスラエルでは、女性のゴルダ・メイア首相が実権を握っていました。ゴルダ・メイア首相は、ニクソン大統領に電話して、このままではイスラエルは敗北すると訴えた。その電話を受けたニクソン大統領は、24時間以内に戦闘機を向かわせて支援し、形勢が逆転。何故、ニクソン大統領が24時間以内に即決で支援するために戦闘機を向かわせたのか。それは、ニクソン大統領が幼いころから、母親が聖書を読み聞かせ、あなたはイスラエルに何かあったら直ぐに助けなさいとずっと教えられてきた。のちに、ニクソン大統領は、私はこの日ために大統領になったのだと証ししたということを知り、今、アメリカはトランプ大統領に変わり、世界的には窮地に立たされているイスラエルを惜しげもなく支援している。1973年の戦争同様、トランプ大統領も、神の器として選ばれた人だなと実感しました。これからもイスラエルのために継続して祈りつつ、神様はイスラエルを守ってくださると期待し、待ち望みます。
次回のナオミ会は、10月9日(木)14:00~15:30です。