2017年7月17日
□テーマは、神の国に関するたとえ話
先月から、みやま集会では、イエスが語られた「たとえ話」について学んでいます。テキストは、フルクテンバウム博士の「メシア的バイブル・スタディ」シリーズの中から、「たとえ話」に関係するものを選びました。
福音書の中には多くのたとえ話が記録されていますが、この学びでは、主要なふたつのたとえ話群を扱います。まず、マタイ13章、「奥義としての御国」に関するたとえ話群(九つ)、そしてマタイ24章と25章、大患難期に関するたとえ話群(6つ)です。
□神の国のプログラム
今、私たちは、神の国のプログラムから見ると、「奥義としての御国」の時代にいます。初臨のメシアが神の民であるイスラエル民族によって拒否された時から、この時代が始まりました。そして、この時代の終末は、「主の日」とも呼ばれる7年間の大患難期です。
大患難期を経て、次の時代(来るべき世)に移ります。それは、地上に建てられる「メシアの御国(メシアの王国、千年王国)」です。従って、「奥義としての御国」の時代は、大患難期の終了とともに終わります。
□神の国とたとえ話の関係
主要な二つのたとえ話群は、マタイ13章が今の時代を、マタイ24章と25章が今の時代の終末、大患難期を扱うものです。
□たとえ話を読むときの原則
たとえ話は、題材を当時の身近な生活シーンから取り上げているので、具体的な映像をイメージでき、何となくわかったような気になります。しかし、そこだけを読んで想像を働かせると、どのようにも解釈することができます。読み手によって十人十色の説明がでてくるのは、このためです。
イエスは、はっきりと言われました。イエスの弟子たちには「知ることが与えられている」。イエスは弟子たちに、そのたとえ話が何を意味するのか、教えてくださいました。また、そのようなイエスからの直接の解説がない場合は、旧約聖書でそれは何を意味しているのかを調べると、たとえ話を正しく理解することができます。
□たとえ話を学ぶ目的
この学びの目的は、たとえ話を文脈に沿って読み、語られている意図を正確に把握すること、それによって、「奥義としての御国」の時代に生きる私たちが、今の時代をどう生きるべきか、信仰生活における平安と確信を受け取るためです。
□今回の内容
前回は、イエスがたとえ話で教えられた背景とその目的、第1番目のたとえ話「種蒔き」でした。今回は、第2番目の「種は自分で育つ」から第9番目の「家の主人」までです。
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