2018年6月9日
■救いの3つの段階
2018年6月から、みやま集会では、救いの3つの段階である「義認・聖化・栄化」を学びます。
救いとは、一言で言えば、人が神によって造られた本来の目的のとおりに完成されることです。その完成のことを、「栄化」と言います。救いの入り口は「義認」、その入り口から入って完成に向かう途上が「聖化」、そして完成が「栄化」というわけです。
人が救いを受けるかどうかは、その救いの入り口に入るかどうかで決まります。聖書では、救いの入り口に入ることを、「神から義人であると認められる」と表現します。これを短く言ったのが、「義認」です。
では、人はどのようにしてその入り口に入るのでしょうか。また入ったらどうなるのでしょうか。聖書では9つのことを教えています。その9つのこととは、「再生、転回、信仰、悔い改め、告白、赦し、転嫁、子とされること、救われたことの確信」です。
■福音を伝えるときの筋道
こういうわけで、もし、あなたが伝道をしていて、救いとは何ですかと尋ねられたら、栄化のことを説明します。次に、どのようにして救いを受けるのですかと尋ねられたら、義認と9つのことを語ります。そして、救いを受けた信者はどのような生活をしたらよいのですかと尋ねられたら、聖化のことを答えるとよいのです。
聖化は、信者にとっては、その人の信仰生活そのものです。聖化は、信者になった日からこの地上の生涯を終える日、つまり、肉体の死を迎える日まで続きます。信仰生活においては、神のことばを学び、それを祈りつつ実行していくことがとても大切です。聖書のことばの中で、どの部分が新約時代の信者にとって指針となるのか、そのことも学んでおくと有益です。
■このテーマでの学びの構成
そこで、みやま集会での学びの内容と順序を次のようにします。全部で5章です。
- 救いとは何か=人が神によって造られた本来の目的のとおりに完成されること=栄化
- どのようにして救いを受けるのか、受けたらどうなるのか=救いの9つの面
- 救いの入り口に入ること=「義人と認められる」=義認
- 信者は「義人と認められた」けれども、その人の内側には「罪の性質」は残ったままである。その人の内側が神の子にふわさしく実際に変えられていくプロセス=聖化
- 新約時代の信仰生活における指針とは
■本日の内容 「第1章 栄化」
神が人に栄光をお与えになることを、短く「栄化」といいます。
栄光を与えるとはどういう意味かというと、人は本来神の似姿として造られました(創1:26)、その造られた本来の目的のとおりに人を完成し、神の栄光を反映する存在とすることです。
この栄化は、人の構造と密接に関係しています。人は物質的部分であるからだと、非物質的部分である霊魂から成ります。神が本来お造りになったからだは、不死です。
ですから、栄化のためには、今の私たちのこの死ぬべきからだが、不死のからだに変えられる必要があります。
そこで、栄化について、次のアウトラインで学びます。
- 人の体の復活は、聖書が明確に教えている。
- 復活の体を、聖書はどのように表現しているか。
- 神が信者に栄光を与える、すなわち栄光の体をお与えになることは、神のみこころであり、信者に約束されていることである。
- 信者個人レベルで復活の体が与えられることで終わりではない。人が地上の支配者であること、人が堕落前に持っていた権威を回復することが、人の栄化の最終ゴールである。
なお、この中で、説明に誤りの部分がありました。Ⅰコリ15:40「天上のからだ」を復活の体を指すと説明しましたが、原文では「天のからだたち」と複数形になっていて、41節の太陽、月、星々を指します。いわゆる天体です。Ⅰコリ15:36〜49の解説とも合わせた訂正文を、集会資料(PDFファイル)の末尾に追加しております。
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