宮城仙台バイブルスタディ

2024年7月「マタイの福音書(26)後半」を学びました。

2024.07.14

カテゴリー:お知らせ

2024年7月13日の第60回宮城仙台バイブルスタディは、仙台市日立システムズ(旧青年文化センター)での学び会となりました。

新約聖書「マタイの福音書」を7名の兄弟姉妹が集まり、みことばを学びました。

マタイの福音書は毎回1章づつの学びとなります。

いただいた感想をご紹介します。

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新約聖書「マタイの福音書」の講解メッセージを聞き、学んだことのわかちあいを行いました。

〇永遠の昔からともにおられ、絶対的信頼と愛によってつながり、孤独な地上生活を御父によって歩まれたイエスが怒りの杯=霊的死を経験することがわかった時の苦しみは、到底おしはかることができない。

〇ペテロがイエスに忠誠を誓っていながらも呪いをかけてしまう弱さは自分にもとてもあてはまると思う。結局、人間の意志だけでは何もできず、神様からの無限の赦しを受け入れて、その中でしか生きてゆけないのだと思う。でも、悲観することはなく、神様の大きな、あたたかな懐の中にいる安心感を味わえるのがクリスチャン生活の素晴らしい点だと思う。

〇祈りは神との交わり、霊的たたかいの備え、ゲッセマネの祈りと荒野の祈りからイエス様の祈りを学びました。

〇ペテロのイエス様を知らないという場面に、この後、初代教会のリーダーとなるペテロへサタンの攻撃がすさまじいことを強く感じた。また、混乱の中で十字架刑への裁判が行われたとのことであるが、サタンがこの時代にもこの世の支配者であり、サタンの支配の力をものすごく感じるところでもあった。現代においても終末に向かって、サタンの動きが活発化しているように感じる。

〇ペテロが熱意をもって歩んでいく、その後のペテロが使徒の働きで活躍していくことに目を向けると、ここの場面での霊的たたかいや試練を経て、ペテロが成長していくことに感動を覚える。

〇罪を知らないイエス様が霊的死を受け入れることがどんなに大変だったか、わたしたちのため十字架に向かって歩まれたイエス様のすごさを思う、とても貴重な学びだった。

賛美: 栄の王にます主の/いつかは知らねど

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次回の開催の詳細は「集会案内」に詳細を掲載しております。

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主に感謝こめて。

宮城仙台バイブルスタディ

代表:横谷 聡一

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