聖書でいう「献身」は、牧師などになることではありません。
使徒、預言者、伝道者、牧師、教師など、これらはすべて、聖霊の賜物です(エペソ4:11、Ⅰコリ12:4~11)。
聖霊の賜物は、教会を建て上げ、信者たちみんなの益となるために、すなわち、みんなが霊的に成長するために与えられるものです(Ⅰコリ12:7)。
牧師や教師は、信者たちの中の偉い人がなるのではありません。
むしろ信者たちの中で劣っている人に、見栄えをよくするものとして牧師や教師の賜物を与えてくださいます(Ⅰコリ12:23~24)
牧師や教師になる人は、このことをよくよくわきまえて、群れを支配するのではなく、群れに仕える者とならねばなりません(マタイ20:26~28)。
献身については、ロマ12:1~2は次のように教えています。
ですから、兄弟たち。私はあなたがたに勧めます。神のあわれみによって(=神から受けた恵みに対する応答として)、あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
献身は、神から受けた恵みに対する応答です。
そして、これこそ、信者が神にささげるべき礼拝です。
牧師などになることとは関係ありません。