■この手紙が書かれた背景と手紙の内容
ローマ帝国からの独立の機運が高まる中、愛国主義的な同胞から、ユダヤ人信者たちは迫害を受けていました。
エルサレムの神殿に近いユダヤ地方の教会の中では、この迫害が収まるまで、いったんユダヤ教の祭儀に戻ろうという動きが出始めていました。
この動きに対して著者は、警告を発するためにこの手紙を書きました。著者は、手紙の前半で、メシアがどれほど優れたお方であるか、ユダヤ教の三本柱である「天使」「モーセ」「アロンの祭司職」と比較します。そして、後半では、前半で学んだことを信仰生活に適用して、具体的な勧めをします。
手紙の読者は、迫害を受ける中で背教を考えている信者たちです。今、彼らに必要なのは、信仰による忍耐です。そこで著者は、11章で信仰による忍耐を発揮した旧約聖書の信仰者たちの手本を語ります。ここでは、手本となるひとりひとりについて、短く簡潔に要点だけがきびきびと書かれています。これはもちろん、読者に旧約聖書の知識があることを前提にしているわけですが、同時に、この手紙が背教の間際にある信者たちに宛てた緊急のものであるという空気が伝わってきます。
■今回の内容
創世記、出エジプト記、ヨシュア記、士師記、サムエル記と順を追って、信仰者たちの手本を見てきました。
今回は、分裂後の王国時代、南王国の4回目です。分裂のときから数えると9番目から12番目、アザルヤ(別名 ウジヤ)、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの4人の王です。
そして、この4人の王の時代に活動した預言者が、イザヤです。預言者としての活動期間は、ウジヤ王が死んだ年からヒゼキヤ王が亡くなるまでの54年間と推定されます。まさに長い忍耐の年月です。
この時代の4人の王を、預言者イザヤとの関わりを軸にして見ていきます。今回は、とくに12番目の王ヒゼキヤとの関係です。
ヒゼキヤが25歳で治世を開始したときには、すでに北の王国イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされていました。
父アハズの背教ぶりとは全く逆に、ヒゼキヤはその治世の最初に、神殿を修復し、礼拝を再開しました。
その治世第14年にアッシリヤ軍の攻撃を受けて存亡の危機を迎えますが、神の直接介入によって助けられました。
その直後、ヒゼキヤ王は大病を患い、死に瀕します。それは何が原因だったのでしょうか。またその病から癒されたあと、彼はどのような人生を歩んだのでしょうか。
聖書には、ありのままの信仰者の手本が記録されています。
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