■この手紙が書かれた背景と手紙の内容
ローマ帝国からの独立の機運が高まる中、愛国主義的な同胞から、ユダヤ人信者たちは迫害を受けていました。
エルサレムの神殿に近いユダヤ地方の教会の中では、この迫害が収まるまで、いったんユダヤ教の祭儀に戻ろうという動きが出始めていました。
この動きに対して著者は、警告を発するためにこの手紙を書きました。著者は、手紙の前半で、メシアがどれほど優れたお方であるか、ユダヤ教の三本柱である「天使」「モーセ」「アロンの祭司職」と比較します。そして、後半では、前半で学んだことを信仰生活に適用して、具体的な勧めをします。
手紙の読者は、迫害を受ける中で背教を考えている信者たちです。今、彼らに必要なのは、信仰による忍耐です。そこで著者は、信仰による忍耐を発揮した旧約聖書の信仰者たちの手本を語ります。ここでは、手本となるひとりひとりについて、短く簡潔に要点だけがきびきびと書かれています。これはもちろん、読者に旧約聖書の知識があることを前提にしているわけですが、同時に、この手紙が背教の間際にある信者たちに宛てた緊急のものであるという空気が伝わってきます。
■今回の内容
へブル人への手紙11章32〜34節は、試練の中で信仰による勇気を発揮した先輩たちを挙げています。時期としては、士師の時代からイスラエル王国の時代です。
イスラエル王国は、ダビデ王、その子ソロモン王と続いた後、北のイスラエルと南のユダとに分裂しました。その原因は、ソロモンの背教です。前回までに分裂の経緯、そして北王国の歴史を概観し、預言者エリヤとエリシャから信仰の手本を学びました。
今回から、南王国の歴史に入ります。本日は、南王国の最初の4人の王たちを取り上げます。分裂後の1番目の王レハブアム、2番目アビヤム、3番目アサ、そして4番目ヨシャパテです。
3番目の王、アサについては、「父祖ダビデのように、主の目にかなうことを行った。・・・アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた」と記されています。しかし、彼は晩年に、自分に苦い預言をした預言者を足かせにかけ、民のなかのある者たちを踏みにじるという愚行をしました。それから3年後に彼は両足に重病を患い、しかもその中で、主を求めることをせず、医者を求めて、2年間を病床にて過ごして死にました。このような人生が、「一生涯、主と全く一つになっていた」と言われるような信仰者なのでしょうか?
4番目の王、ヨシャパテは、父アサが病床についた年に共同王となりました。35歳でした。父アサが死んで単独の王となったのは、、ヨシャパテが37歳のとき、彼の治世はここから始まり、その第3年目に彼がしたことは、つかさたちにレビ人や祭司を同行させて、ユダの町々を巡回し、民に律法(旧約聖書の創世記から申命記までのモーセ五書)を教えたことでした。このように熱心に主を求めたので、主はヨシャパテを祝福しました。
彼は「しだいに並はずれて強大になり」、「富と誉れを豊かに与えられた」となるのですが、50歳を過ぎた頃、彼は北王国イスラエルの王アハブと同盟関係を結んでしまいます。そのことが彼の晩年に多くの危機をもたらしたこと、そして試練の中で彼がどのような信仰を発揮したかを見ます。
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