■この手紙が書かれた背景と手紙の内容
ローマ帝国からの独立の機運が高まる中、愛国主義的な同胞から、ユダヤ人信者たちは迫害を受けていました。
エルサレムの神殿に近いユダヤ地方の教会の中では、この迫害が収まるまで、いったんユダヤ教の祭儀に戻ろうという動きが出始めていました。
この動きに対して著者は、警告を発するためにこの手紙を書きました。著者は、手紙の前半で、メシアがどれほど優れたお方であるか、ユダヤ教の三本柱である「天使」「モーセ」「アロンの祭司職」と比較します。そして、後半では、前半で学んだことを信仰生活に適用して、具体的な勧めをします。
手紙の読者は、迫害を受ける中で背教を考えている信者たちです。今、彼らに必要なのは、信仰による忍耐です。そこで著者は、信仰による忍耐を発揮した旧約聖書の信仰者たちの手本を語ります。ここでは、手本となるひとりひとりについて、短く簡潔に要点だけがきびきびと書かれています。これはもちろん、読者に旧約聖書の知識があることを前提にしているわけですが、同時に、この手紙が背教の間際にある信者たちに宛てた緊急のものであるという空気が伝わってきます。
■今回の内容
へブル人への手紙11章32〜40節では、ギデオンやバラク、サムソンやエフタといった士師たちの群像に続き、預言者であり最後の士師であるサムエルと、サムエルによって油を注がれ王となったダビデが、手本とすべき信仰者として挙げられています。
前回までに、サムエルの晩年とダビデの登場、ダビデ①「20歳から30歳で王となるまで」、ダビデ②「30歳から50歳でソロモンが誕生する頃まで」を見ました。
今回は、ダビデ③「50歳から70歳でダビデの死まで」です。
ダビデが王であったのは40年間、今回はその後半の20年間です。
前半の20年は、王として内政では正しいさばきを行い、外交軍事では周辺諸国を次々と平定していくという「明」の時期、そして一転して姦淫と殺人の罪を犯すという「影」が差したところで折り返しました。
後半の20年は、その罪の刈り取りをしなければならない「暗」の時期です。
ダビデに限らず、人生というのは、年齢を重ねるほどに闇が深くなるようです。しかし、闇が深くなればなるほど、神の光が輝きます。罪があらわになるほど、神の赦しの恵みが増します。ダビデ50歳から70歳まで、この暗闇の歩みの中にこそ、現代の私たちが学ぶべき信仰の手本があります。
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