□ はじめに
きょうの箇所は、小羊の吟味にすぐ続いて起きた出来事です。イエスの公生涯最後の公の教えで、イエスをメシアではないと拒否したユダヤ人指導者たち(律法学者とパリサイ人たち)を、イエスが糾弾します。これは、単なる怒りのことばではなく、王なるメシアによる裁きのことばであり、ゼカリヤ11:8の預言の成就です。
□ 今日の適用
やもめの献金からの教訓を学びます。
ここには、パリサイ人たちとやもめの信仰の対比があります。イエスは、神殿の中で、初めて小さな光を見ました。このやもめは、レムナント(イスラエルの残れる者、少数の真の信仰者、預言者的表現では「貧しい者」)の典型です。
ここには、全的献身の姿があります。彼女は、手にあった2枚の銅貨のうち、1枚だけ捧げる道もありましたが、全部を捧げました。
彼女は信仰者です。全的献身の前に、頼ることのできるお方は神のみという信仰がありました。全的献身は人の力ではできません。とくに、私たち新約の聖徒の献身の前提は、神を喜ぶことです。献金が「喜んで、進んで、自分の心の中で決めて」(Ⅱコリ8:1〜15、9:5〜7)の原則であるのと同じです。
神を喜ぶ段階への道筋を、弟子たちの歩みとローマ人への手紙から見ます。
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