それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからである。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。(マルコ11:15〜18)
■福音書の記事
神殿の清めは、共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)すべてに記録されています。これは、イエスの公生涯の最後に起こった出来事です。ヨハネの福音書には、もうひとつの神殿の清めが記録されています。これは公生涯の最初に起こった出来事です(ヨハネ2:13〜22)
■宮清めの舞台
「イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し」。「宮」、すなわち神殿は、本殿と庭とから構成されます。庭は、本殿に近いところから順に、イスラエルの庭、婦人の庭、そして隔ての壁があって、一番外側が異邦人の庭となります。その異邦人の庭で、商売人たちが商売をしていたのです。これは、大祭司カヤパが営業を許可してできるようになりました。当時は、「カヤパのバザール」と呼ばれていたそうです。実際は、前の大祭司アンナスとその婿カヤパ、この大祭司一族の富につながっていました。
■両替人なども追い散らされた
当時ローマ帝国の経済圏で流通していた貨幣は、ローマの銀貨、ギリシヤの銀貨、ツロで鋳造された銀貨でした。ユダヤ人で20歳以上の男子が神殿に毎年納める神殿税は、半シェケル、これにはツロの銀貨を用いました。ローマやギリシヤの銀貨は、神殿で営業する両替人によってツロの銀貨に両替してもらってから、神殿に納めました。神殿での両替手数料は割高で、利権につながっていました。
■その他の商売人も追い散らされた
両替ばかりではありません。神殿の礼拝に必要なものを販売する売り場もありました。ぶどう酒、オリーブ油、塩、そして、いけにえの動物や鳥などが、主な扱い品目です。これらの商品の販売も市価より割高で、やはり利権につながっていました。
■通行人も阻止された
マルコ11:16には、「また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった」とあります。当時、町からオリーブ山に行くのに、神殿を横切ってはならないという規則がありました。しかし、人々はそれを無視して、器に入った物を持って通過していました。おそらく、オリーブ山周辺に野宿する多くの巡礼者をあてこんでの商売のためでしょう。こう見てくると、当時の神殿が、商店街のような、そして幹線道路の交差点のような場所と化していたことがよくわかります。イエスは、公生涯の最初と最後に、宮清めを行われたのです。
■イエスの教え
イエスは人々に教えて言われました。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」
イエスは神殿がどのような目的のためにあるのかを教えました。この中では、旧約聖書から二つの箇所が引用されています。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という部分は、イザヤ56:7(千年王国の預言)からの引用です。「強盗の巣」という部分は、エレミヤ7:11(バビロン捕囚前のエルサレムの状況)、「わたしの名が付けられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。」からの引用です。
■「強盗の巣」
強盗の隠れ家のことです。ここに逃げ込めば安全という場所です。エレミヤが預言した当時の南王国ユダの人々は、神殿があるから、エルサレムは安全だと考えていました。イエス公生涯の時代のユダヤ人たちも、同じです。特に指導者たちは強盗のように民衆から搾取し不正に蓄財しておきながら、この神殿があるから、神から守られてエルサレムは安泰であると考えていました。
■神のみこころにかなう神殿は、千年王国で
ゼカリヤ14:21 その日、万軍の主の宮にはもう商人がいなくなる
マラキ3:2〜5 レビの子ら(祭司たちや宮に仕える人たち)をきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする
■イエスの教えに対して指導者たちは
「祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。」
指導者たちはイエスを恐れました。なぜなら、民衆がイエスの教えを聞いて感動していたからです。このままでは、民衆がイエスを支持して暴動を起こす可能性が大きいと感じていました。もし暴動が起こると、支配者であるローマ帝国はユダヤ人側の指導者(特に、大祭司)を交代させるでしょう。さらには、これまで認めてきた自治権の範囲を狭める措置をとることもあり得ます。これは、ユダヤ指導層にとっては、特権と富を失うことを意味しました。だから、イエスを殺してしまうこと、それも民衆の目に触れないところで、誰が手を下したか、わからないように、という計画を立てる必要性がありました。この時点では、まだイスカリオテのユダとの裏交渉はされていません。指導者たちが相談したのは、どのようにしてイエスをだまして捕え、秘密裏に殺すか、すなわち、「暗殺」でした。表立ってイエスを逮捕し、死刑に処する権限は、当時の自治権の範囲では認められなかったこともあります(ヨハネ18:31)が、指導者たちは何よりも民衆の暴動を恐れたのです。特にイエスとその弟子たちのほとんどが、血気盛んなガリラヤ地方出身者でしたから、危険分子と見ていたのかもしれません。
イエス殺害計画は、このあと、イエスの側近中の側近、十二弟子のひとりであるイスカリオテのユダがイエスを裏切って大祭司側につくという見通しがついて、暗殺から一転して、「総督の支配と権威にイエスを引き渡そう」(ルカ20:20)という計画に変わっていきます。