翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。(マルコ11:12〜14)
■文脈の確認
前回は、イエスがメシアとしてエルサレムに入城されました。このときイエスは、ゼカリヤの預言のとおりに、ろばの子に乗ってやって来ました。そして、弟子たちや群衆が詩篇に基づく「メシアを迎える歌」をもってイエスを歓迎し、イエスもその賛美をお受けになりました。これは、ニサンの月の10日、紀元30年4月2日、週の初めの日(日曜日)の出来事でした。きょうの箇所は、その翌日です。ニサンの月の11日、月曜日です。
■予備知識
きょうの内容は、イエスがいちじくの木を呪ったり、神殿で商売人たちを追い出したりと、手荒な印象があります。しかし、イエスが空腹でかっとなったとか、商売そのものを禁じたとか、そういうことではありません。
葉ばかり茂って実がなかったこのいちじくの木は、ユダヤ人たち、とくにエルサレムの神殿を管理する指導者たちの象徴です。見せかけだけで実がない、選民意識ばかり強くて信仰がない、という彼らの実態を表しています。
いちじくの木を呪うこと、そしてその後に続く神殿の清めからは、メシアがどれほど当時のユダヤ人たちの実態を怒り、悲しく感じておられたかがわかります。
翌朝、弟子たちは、そのいちじくの木が枯れているのを見つけます。これは紀元70年に起こるエルサレムの陥落と神殿の崩壊を暗示するものです。
■月曜日の朝、ベタニヤからエルサレムに行く途中で
「翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。」前日は、エルサレム入城の日(ニサンの月の10日、日曜日)。その翌日ですから、ニサンの月の11日、月曜日の出来事です。
ベタニヤ村は、イエスの宿泊先です。この最後の一週間、イエスの宿泊先は、ベタニヤかオリーブ山でした。前日イエスはエルサレム入城のあと、夕方にはベタニヤに戻られました。恐らくイエスはその夜は屋外に留まり、断食の祈りをしておられたものと思われます。翌朝、イエスの一行はベタニヤからエルサレムまで徒歩で向かいます。その途中でイエスは空腹を覚えました。
■葉の茂ったいちじくの木
「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。」
イスラエルでは、いちじくの木は、よく見かける木です。いちじくは、3月に緑の実を付け始めます。これも食用になり、農夫がよく食べたそうです。4月になると、葉を茂らせます。過越の祭りは3〜4月ですから、きょうの箇所はこの時期にあたります。そして、5月末〜6月に、緑の実は熟します。これが夏いちじくです。その年の新しい枝に付いた実が熟すのはそのあと、これが秋いちじくです。収穫の終わりは8月末です。春先に緑の実が付かない年は、いちじくは不作です。
■いちじく=約束の地の代表的な産物のひとつ
申命記8:8「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地」
■いちじくの木に実はなかった
このいちじくの木は、遠くから見ても目立つほど、葉を茂らせていました。いちじくが熟する季節ではないので、熟した実がないのは当然です。イエスが期待したのは、農夫たちが食用にする緑の実でした。しかし、この木にはそれすらなかったのです。
■この時代のイスラエルの象徴
このいちじくの木は、この時代のイスラエルの民の象徴です。外面は繁栄していますが、内面は実を付けていません。そして、特に当時の指導者たちの特徴は、宗教的偽善です。このあとに続いて起こる出来事、イエスによる神殿の清めは、宗教的偽善に対する神の怒りを示す出来事です。