本日の熊本聖書フォーラムの集会では、中川健一先生のメッセージ「メシアの生涯 第151回 勝利の入城」から学びます。
■エルサレムに向かうイエス(ルカ19:28)
イエスの一行は、エリコを出て、エルサレムに向かいます。エルサレムへの最後の旅も、いよいよ終わりです。
■ベタニヤに到着(ヨハネ11:55〜12:1、12:9〜11)
ベタニヤには、マルタとマリヤの姉妹、その兄弟のラザロの家があります。イエスはその家に滞在されました。過越の祭りの間、エルサレムの町の周辺は、国内外からの巡礼者たちのテント村状態になります。ベタニヤからエルサレムは徒歩で行ける距離、その途中にはベテパゲという村があります。
祭司長と律法学者たちはイエス殺害を計画していました。エルサレムの一般民衆もそのことを知っていました。祭司長と律法学者たちが、イエスを見た者は報告せよとの命令を出していたからです。イエスがベタニヤに着いたとの噂はすぐに流れて、多くのユダヤ人がやって来ました。イエスだけでなく、生き返ったラザロを見るためでもありました。祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談しました。
■エルサレム入城の準備(ルカ19:29〜35)
イエスは、ろばを必要とされました。これは、メシアはろばの子に乗ってエルサレムにやって来るという預言、ゼカリヤ9:9の預言を成就させるためです。ろばは、祭司、貴族、平和の使者たちの乗り物です。馬は騎兵や王の乗り物であるのと対照的です。
イエスにろばを貸した人は誰か、記録されていませんが、ろばの「持ち主」は複数形ですから、二人以上です。借りたのはろばの子一頭ではなく、(母)ろばとろばの子です(マタイ21:7)。弟子たちは、2頭の背に上着を掛けました。イエスは両方に、交互に乗られたようです。(マタイ21:7、イエスはそれらに乗った)
■人々の歓迎(ルカ19:36〜38)
イエスの一行は、オリーブ山の東側ふもとから山を登り、西側を下って、下りきった所のケデロンの谷に入り、谷を横切るとその先はエルサレム、というルートをたどります。
沿道で人々はイエスの一行を迎え、その道に上着を敷きました。これは王に対する表敬です。弟子たちの群れが叫びました。イエスの3年半にわたる公生涯を共にしてきた彼らは、多くの奇跡を目撃してきました。そのことのゆえに、大声で神を賛美し始めたのです。賛美の内容は、詩篇118:26、メシアをお迎えするときの歌です。「主の御名によって来られる王」、それはメシアです。
■パリサイ人たちの抗議(ルカ19:39〜40)
サンヘドリンの公式決定によれば、イエスはメシアではありません。よって、ユダヤ教パリサイ派の指導者たちは、イエスに対し、弟子たちを黙らせるよう要求しました。しかし、イエスはそれに応じませんでした。「人が黙ったとしても、石が叫び出す」、これはイエスがメシアであることは明白であるという意味です。
■イエスの嘆き(ルカ19:41〜44) オリーブ山の上から
エルサレムは平和のことを知らなかった、口語訳では「平和をもたらす道」を知らなかったとあります。平和をもたらす道とは、イエスをメシアとして信じる道です。しかし、ユダヤ人たちの霊的な目は、盲目になっていました。エルサレムがイエスを拒否したので、イエスもエルサレムを泣いて拒否しなければなりません。ここは、イエスの十字架から40年後、紀元70年に起こるエルサレム陥落についての預言です。エルサレムは「神の訪れの時を知らなかった」、イエスが救いのメッセージを持ってエルサレムを訪れたのに、それにユダヤ人たちが応じなかった、それが40年後の非劇につながるのです。
■エルサレム入城(マタイ21:7〜11)
イエスは、子ろばに乗ってエルサレムに入城しました。
ゼカリヤは次のように預言していました。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろばに。(ゼカリヤ9:9)
「雌ろばの子の子ろばに」そのままに、イエスは母ろばも連れて来ています。
ゼカリヤは、この王を「柔和で、ろばに乗られる」と預言しています。「柔和」ということばのニュアンスには、苦しみを受けて低くされるという意味があります(フルクテンバウム博士、「メシア的キリスト論」、65頁)。イエスのエルサレム入城は、人々が歓迎したという点において「勝利の入城」と呼ばれる出来事ですが、メシアは、苦しみを受けるために、エルサレムに入城されたのです。