2021年8月21日
□新約聖書の中の奥義
新約聖書の中には、「奥義」ということばが、28回出てきます。
共観福音書と呼ばれる、マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書では、各1回、計3回使われています。
いずれも「神の国の奥義」と呼ばれる、第1番目の奥義を教えています。
そして、使徒パウロが記した書簡の中で21回、使徒ヨハネが記した黙示録の中で4回使われています。
その中では、神の奥義の第2番目から8番目まで、と、サタンの2つの奥義が教えられています。
奥義というと、日本語の感覚では、何かしら極意のような、よほど信仰生活を重ねたベテランの信者だけに関係することであるかのような印象がありますが、新約聖書でいう「奥義」とは、実にシンプルな意味です。
それは、「旧約聖書では全く啓示されていなかったことで、新約聖書において初めて明らかにされたこと」を意味します。
パウロは、エペソ6:19~20において、「福音の奥義」という表現をしています。
それは、福音を宣べ伝えることは、奥義そのものを教えることにつながっているという表現です。
奥義は、決してベテランの信者だけのものではありません。
福音の真髄ともいえるもの、そして宝のような知識なのです。
すべての信者が奥義を知って、霊的に成長し強くなることが、神のみこころです。
□この学び全体の構成
この学び全体は、5部構成になっています。
第一部 イントロダクション
第二部 奥義としての神の国
第三部 教会に関する5つの奥義
第四部 イスラエルがかたくなになることに関連する奥義
第五部 サタンの2つの奥義 と それを打ち破る神の8番目の奥義
□本日の内容
第四部「イスラエルがかたくなになることに関連する奥義」に入っています。
ローマ人への手紙第9章から11章までを通して、イスラエルによるメシア拒否について学びます。
イスラエル民族と異邦人が神の計画の中でどのような位置づけにあるのか、そのことを正確に知ることは、
聖書を理解する重要なカギの一つです。
前々回は、イスラエルによるメシア拒否を神の視点から見ました。
そこでのポイントは、二つのイスラエルが存在すること、すなわち、民族全体としてのイスラエルと、その中に少数ではあるが信仰あるイスラエルが存在するということです。
信仰あるイスラエルは、聖書では、霊的イスラエル、あるいはレムナント(イスラエルの残れる者)とも呼ばれています。
そして、ユダヤ人の中で、誰がレムナントになるのかどうか、それは神の選びと神の主権によるということを学びました。
前回は、イスラエルによるメシア拒否を人の視点から見まました。
そこでのポイントは、イスラエルが躓いた理由は3つの無知(誤解)が連鎖していました。
第一に救いを律法による行いで得られると誤解したこと、第二に律法を与えられたのは全人類の中でイスラエル民族だけだから、救いを受けるのはイスラエル民族だけであるという誤解、第三にイスラエル民族だけが救いを受けるのであるから、福音宣教もイスラエル民族に向けてのみとなる、という誤解でした。
今回は、イスラエルによるメシア拒否という悲しい現実の中に見る神の慰めです。
テーマは二つ、第一にメシアを拒否したのはイスラエル民族全員ではない、霊的イスラエルが残されているということです。
そして、第二のテーマは、イスラエルが躓いたことの目的です。イスラエルが倒れることが目的ではありません。
イスラエルが躓いたことで異邦人に救いが及びました。そして、それを見るイスラエルの中に妬みを起こさせ、彼らを救いに導くこと、これが神の目的です。
□集会用資料(PDFファイル)
資料はPDFファイルで、詳細な資料が6ページです。
□音声録音(MP3)
集会の実況録音は次をクリックしてください。ドロップボックスというサイトに入りますが、ユーザー登録などは必要ありません。音声再生のスタートボタンをクリックすれば聴くことができます。今回の録音時間は約52分です。
https://www.dropbox.com/s/h5crd4zgd94itaw/210821%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E9%9B%86%E4%BC%9A.mp3?dl=0