福岡バイブルスタディ(福岡集会)

メシア的キリスト論 / 預言者 / ゼカリヤの預言「メシアがエルサレムに子ろばに乗って来る」(3)

2016.07.19

カテゴリー:y メシア的キリスト論

2016年7月16日

□はじめに

メシアの初臨に関する預言を、律法・預言者・諸書の区分に沿って学んでいます。預言者の区分では、これまでイザヤ、エレミヤ、ミカの3つの預言書を見ました。前回からゼカリヤ書に入っています。
ゼカリヤは、バビロン捕囚から帰還した時代の預言者です。
5月の集会では、バビロン捕囚と帰還に至るまでの歴史的な流れとそれに関連する預言を振り返りました。
次の6月の集会では、バビロン捕囚期の高官ダニエルの預言を通して、主に二つのことを学びました。

ひとつめ、世界の歴史は、4つの覇権国家が登場する中で展開されます。ゼカリヤの時代は2番目の覇権国家ペルシヤの時代です。私たちは、四番目の覇権国家、それも強い国も弱い国も混在する国際社会となる最後の時期にいます。

ふたつめ、ダニエルは、ペルシヤと3番目の覇権国家ギリシヤとが激突することを預言しました。ペルシヤがまずギリシヤに侵攻します。そのときのペルシヤの王が、エステル記に登場する王でした。

今回は、ギリシヤの王アレキサンドロスによる逆襲です。そして、彼がゼカリヤ9章1〜8節に記される侵略的な異邦人の王であり、それとの対比で9〜10節のメシアなる王が預言されます。

 □ダニエル書11章の預言

■ギリシヤの逆襲

「ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。」(ダニエル11:3)

 この「ひとりの勇敢な王」とは、ギリシヤ北部のマケドニヤの王、アレキサンドロス大王です。彼の略歴は次のとおりです。

 少年時代 アテネからアリストテレスを招いて教えを受ける、学友たちは後に将軍

BC336  父ピリポ王が暗殺されて即位、20歳

BC334  マケドニヤ軍を主力とするギリシヤ連合軍4万を率いてヘレスポント海峡を渡る。グラニコス川の戦い

BC333  イッソスの戦い  ダリヨスⅢ世の軍(10万人)を破る

      海の道を通ってエジプトへ

BC332  エジプトにてファラオとなる

      エジプトを出発して、エルサレムを通過、ダマスコを経由して北上

BC331  ガウガメラの戦い ダリヨスⅢ世の軍(20〜30万人)を破る

BC326  インド遠征(部下が『もう疲れた』)→インダス川南下・ペルシヤ湾航海

BC324  スサ(シュシャン)の合同結婚式 (シュシャン、参考エス1:2)

BC323  バビロンで、アラビヤ遠征準備。ある夜の祝宴中に倒れる。

       10日間高熱に浮かされ、死去。32歳

 ■ギリシヤ帝国の分裂

「しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こそぎされて、その子孫以外のものとなる。」(ダニエル11:4)

 「天の四方に向けて分割される」とは、部下の諸将が20年間王位争奪し、実質的に4つの王国が分立することを指します。諸将の名と支配地域は次のとおりです。

カサンドロス =ギリシヤ・マケドニヤ
リュシマコス =トラキヤ・ビテニヤ
セレウコス  =バビロニヤとシリヤ
プトレマイオス=エジプト

 ■約束の地の支配者 

当初、プトレマイオス朝エジプト(「南の王」ダニエル11:5,9,11)でした。
しかし、BC198年、パネア(パニオン)の陸戦の結果、セレウコス朝シリヤ(「北の王」ダニエル11:6,7,11)に代わります。

 □ゼカリヤ9章1〜10節の預言  異邦人の王とメシアの対比

■預言の時期

ゼカリヤ7:1 ダリヨス王の第四年(BC518年)

■ゼカリヤ9:1〜8は、外国の王によるイスラエル侵攻の預言

この王は、ギリシヤのアレキサンドロスです。
イッソスの戦いのあと、海の道を通ってエジプトへ向かいました。その途上での侵攻の預言です。
このあと、エジプトから北上。エルサレムを通過したのはBC332年。このときエルサレムは攻撃対象にならず、8節の預言は成就しました(預言から186年)。8節の「わたしの家」とは、エルサレムの神殿です。「しいたげる者」とはアレキサンドロス大王です。
エルサレム通過後は、ダマスコから北上。ガウガメラの戦いで、ペルシヤを完全に撃破しました。BC331年のことです。ギリシヤ帝国の覇権確立はBC330年です。

■ゼカリヤ9:9は、メシア初臨に関する預言

1〜8節で預言された侵略的な異邦人の王とは対照的に、9節において来たるべきユダヤ人の王が描写されます。

まず、イスラエルに対して喜ぶようにと言われる。なぜなら、あなたの王=イスラエルの王がやって来るから。それも、あなた=イスラエルに敵対して来るのではなく、あなたを守るものとして来るからです。

■メシアなる王の特徴

この王は、正しい方である: この王の特徴は、正義。そのことはエレミヤ23:5〜6でも提示されていた。これとは対照的に、アレキサンドロスは、酩酊して倒れ、高熱を発して意識もうろうの中で死んでいった。

この王は、救いをあたえる: これとは対照的に、アレキサンドロスは、征服と破壊と死をもたらした。

この王は、低くそしてへりくだる:「低く」には、苦しみをとおして低くされるというニュアンスを含む。メシアは実際、苦しみをお受けになった。これに対して、アレキサンドロスは、武威を大いに誇りながら、エルサレムに入城した。

■エルサレム入城のときの対照的な光景

アレキサンドロスが白馬に乗って来たのに対し、メシアはろばに乗って来ます。しかも、「雌ろばの子の子ろば」に乗って来ます。

 □預言の成就(新約聖書の福音書)

イエスは、公生涯の最後の一週間において、その始まりの日(日曜日)にエルサレムに入城。その際に、ろばの子に乗って入城した。イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入ったということは、公式にご自身をメシアであると宣言した、ということです。

イエスは、次のように弟子たちに命じました。

ベテパゲに行くこと、するとまだだれも乗ったことのない、ろばの子を見つけるから、それを連れて来なさい

ここには奇跡的要素があることに注意。まだ誰も乗ったことがないなら、子ろばは、人が乗ったとたん、その人をうしろに振り落とす性質がある。しかし、この子ろばは、イエスをおとなしく乗せたのです。

 □その経緯を、新約聖書の福音書から少し詳しく見てみましょう。

 ■エルサレムに向かうイエス(ルカ19:28)

イエスの一行は、エリコを出て、エルサレムに向かいます。エルサレムへの最後の旅も、いよいよ終わりです。

 ■ベタニヤに到着(ヨハネ11:55〜12:1、12:9〜11)

過越の祭りの間、エルサレムの町の周辺は、国内外からの巡礼者たちのテント村状態になります。イエスの一行は、エルサレム近郊も村ベタニヤに到着しました。
そこには、マルタとマリヤの姉妹、その兄弟のラザロの家があります。イエスはその家に滞在されました。
オリーブ山の南東の麓にあるベタニヤ(「悩みの家」「貧困の家」)から、山腹の村ベテパゲ(「未熟のいちじくの家」)を横に見ながら、エルサレムまでは約3㎞(ヨハネ11:18)でした。現在はベタニヤという町はありませんが、今の地名ではアラビヤ語で「エル・アザリヤ(ラザロの場所)」のあたりと推定されます。
さて、祭司長と律法学者たちはイエス殺害を計画していました。エルサレムの一般民衆もそのことを知っていました。祭司長と律法学者たちが、イエスを見た者は報告せよとの命令を出していたからです。
イエスがベタニヤに着いたとの噂はすぐに流れて、多くのユダヤ人がやって来ました。イエスだけでなく、生き返ったラザロを見るためでもありました。祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談しました。

 ■エルサレム入城の準備(ルカ19:29〜35)

イエスは、ろばを必要とされました。これは、メシアはろばの子に乗ってエルサレムにやって来るという預言、ゼカリヤ9:9の預言を成就させるためです。
ろばは、祭司、貴族、平和の使者たちの乗り物です。馬は騎兵や王の乗り物であるのと対照的です。
イエスにろばを貸した人は誰か、記録されていませんが、ろばの「持ち主」は複数形ですから、二人以上です。借りたのはろばの子一頭ではなく、(母)ろばとろばの子です(マタイ21:7)。
弟子たちは、2頭の背に上着を掛けました。イエスは両方に、交互に乗られたようです。(マタイ21:7、イエスはそれらに乗った)

 ■人々の歓迎(ルカ19:36〜38)

イエスの一行は、オリーブ山の東側ふもとから山を登り、西側を下って、下りきった所のケデロンの谷に入り、谷を横切るとその先はエルサレム、というルートをたどりました。
沿道で人々はイエスの一行を迎え、その道に上着を敷きました。これは王に対する表敬です。
随行する弟子たちが叫びました。イエスの3年半にわたる公生涯を共にしてきた彼らは、多くの奇跡を目撃してきました。そのことのゆえに、大声で神を賛美し始めたのです。賛美の内容は、詩篇118:26、メシアをお迎えするときの歌です。
「主の御名によって来られる王」、それはメシアです。

 ■「主の御名によって来られる王」

エレミヤの預言において、メシアの称号のひとつが「主は私たちの義」でした。この「主」は「ヤハウェ」の四文字をすべて含む、神の名前そのものです。

 □ゼカリヤの預言に戻ります

 □2種類のメシア預言

■ゼカリヤ9:10は、メシア再臨に関する預言

約束の地からは、戦いのための武器は一切なくなる。これはメシアの再臨に続いて起こる出来事を預言したものです。

■ゼカリヤ書の9:9〜10には、メシア預言の二つの流れがともに現われている

苦しみを受けて低くされるメシア(9節)
王として地の果てまでも支配下におくメシア(10節)

□古代ユダヤ教のラビたちの見解:大別すると、2つの見解がありました

■見解A=二人のメシアを想定

ひとりは、ラビたちの呼び方で言うと、「ヨセフの子」。彼は、苦しみを受けるタイプのメシア預言を成就する。ヨセフは、創世記でエジプトに奴隷として売られ、苦労のすえ、宰相になります。しかし、晩年はまたイスラエルの民とともに奴隷状態に陥り、神が必ず解放してくださる、その日には自分の遺骸をエジプトから持ち出してくれと遺言した人物です。彼のあとに続いて登場するのが、二番目のメシアで、「ダビデの子」と呼ばれ、ヨセフの子のメシアを死から引き上げて復活させ、敵対者を制圧するメシアです。

■見解B=イスラエルの霊的状態による

別の箇所では「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来る」とあり、この箇所では「柔和で(へりくだって)、ろばに乗られる」とあります。その矛盾を解決する解釈として、イスラエルの霊的状態によると考えます。もし、イスラエルの人々が神の前に正しければメシアは天の雲に乗って来られ、もし人々が正しくなければ、へりくだってろばに乗って来ます。

■この二つの見解の問題点

見解Aは、ふたりのメシアの関係について説明できません。また、預言の中にはこのゼカリヤ9:9〜10のように、明らかにひとりのメシアを指しながら、まずろばに乗って来る柔和な方として、そしてすぐに次の節で王として地の果てまで支配する、とする記述があります。

見解Bは、聖書の預言解釈としては、根本的に誤りです。メシアがろばに乗って来たら、他方の預言「天の雲に乗って来る」は成就しなくなります。しかし、聖書の記述によれば、その両方が成就しなければならないからです。

□新約聖書の教え

新約聖書の教えはシンプルです。メシアはひとりだけです。
ただし、二度来ます。一度目は死ぬために、二度目は統治するため。

福岡バイブルスタディ(福岡集会)

バックナンバー