2016年6月18日
□はじめに
メシアの初臨に関する預言を、律法・預言者・諸書の区分に沿って学んでいます。預言者の区分では、これまでイザヤ、エレミヤ、ミカの3つの預言書を見ました。前回からゼカリヤ書に入っています。
ゼカリヤは、バビロン捕囚から帰還した時代の預言者です。前回は、バビロン捕囚と帰還に至るまでの歴史的な流れとそれに関連する預言を振り返りました。今回は、ゼカリヤの預言に入る前に、バビロン捕囚期の高官ダニエルの預言を通して、神の御手のうちにある世界史を俯瞰したいと思います。
□ダニエル書2章の預言
■預言の時期
2:1に、バビロニヤの王、ネブカデネザルが、その治世の第2年(BC604年)に夢を見たとあります。しかし、夢は複数形なので、同じ夢を何回も見たものと推定されます。そして、あまりに同じ夢を何回も見るので不安になった王が、バビロンの知者たちに夢を解き明かすよう要求しましたが、誰もそれに答えられないので、知者たちを殺せということになりました。このとき、第1回捕囚(BC605年)から3年目で登用されたダニエルが登場しますので、預言の時期は、BC603年と推定されます。
■夢の内容
2:31〜33 一つの大きな像(純金→銀→青銅→鉄【さらに、鉄と粘土】)
2:34〜35 一つの石が人手によらず切り出され、像の足もとを打って、像を打ち砕き、大きな山となる
■夢の解き明かし
2:36〜43 第一の国から第四の国が起きる。バビロニヤは第一の国。
2:44〜45 天の神は一つの国を起こす。人手によらず切り出される一つの石とは、メシアです。その石が全地に満ちて大きな山になったというのは、メシアの王国が建てられるということです。
■現代は、どこにあたるか
現代は、この像の足元です。鉄と粘土がまじりあって、強い国も弱い国もそれぞれ存在しています。現代の国際社会そのものです。メシアが来て、人間の諸国を打倒し、メシアの王国が建てられる時代がすぐそこまで近づいています。
□ダニエル書8章の預言
■預言の時期
8:1に、ベルシャツァル王の治世の第3年(BC551年)とあります。ベルシャツァル王は、ダニエル書2章の預言にいう第一の国、バビロニヤの最後の王です。
■預言の内容
ペルシヤが高ぶり、ギリシヤから逆襲されるという預言です。
8:2〜4 雄羊は、メディヤ・ペルシヤです。ダニエル書2章の預言にいう第二の国。
8:5〜7 雄やぎは、ギリシヤです。ダニエル書2章の預言にいう第三の国
8:8 大きな角は、ギリシヤのアレキサンドロス大王です。四本の角は、アレキサンドロス大王の死後、四人の将軍による帝国の分割を預言しています。分割されても、それら全体でギリシヤ帝国、第三の国の時代です。
8:20〜22 明確に、国名が預言されます。
□ダニエル書11章の預言
■預言の時期
10:1、クロス王の治世第3年(紀元前536年)とあります。
■預言の内容
11:2は、ペルシヤが、ギリシヤへ侵攻するという預言です。8章の預言で言う「雄羊の高ぶり」です。11:3は、ギリシヤがペルシヤに逆襲するという預言です。そのときのギリシヤの王は、8章の預言で言う「大きな角」、アレキサンドロス大王です。
■ペルシヤがギリシヤに侵攻する
「ペルシヤになお3人の王が立ち、第四の者は、国富最大となり、支配下の国々を動員してギリシヤの国に立ち向かわせる。」(ダニエル11:2)
この預言がされているときのペルシヤの王は、クロスです。クロスのあとの3人の王とはカンピュセス(BC530〜522)、ダリヨスⅠ世(BC522〜486、BC490マラトンの戦い)、クセルクセスⅠ世【アハシュエロス】(BC486〜465)です。したがって、「第四の者」とは、クセルクセスⅠ世、エステル記には「アハシュエロス」として登場する王です。
■ダリヨスⅠ世とマラトンの戦い
ペルシヤが最初にギリシヤに触手を伸ばすのは、ダリヨスⅠ世の時です。すでに60歳になっていたダリヨスⅠ世は、自ら出馬はせずに、配下の将軍に数万の兵を与えてギリシヤに上陸させました。ギリシヤ側はアテネ軍の奮闘によって辛くも勝利を得ます。そのときの陸戦が「マラトンの戦い」で、伝令が走ってアテネに勝利の知らせたときの距離が約40キロメートル、それが「マラソン」競技のルーツだと言われます。
しかし、アテネの指導者はこれで終わったわけではないと危機感を持ちました。陸軍では圧倒的な兵力を有するペルシヤにいずれやられる、海の上で戦わないといけないと考えて、それまで軍船を一隻も持たなかったアテネが、200隻の軍船の造船とそれに乗って船を動かし、海上で戦う海兵4万人(1隻200人乗り)の訓練に向かうことを提案しました。それまで陸での戦いをしていたアテネの戦士がほぼ全員海兵にならねばなりません。むしろ陸戦力を強化すべきだという反対論を指導者が押し切って、次の戦役への備えがなされました。
■クセルクセスⅠ世とエステル記
エステル記1章には、なるほど「国富最大」であるとうかがえる大宴会の記事があります。このときクセルクセスⅠ世は36歳、王妃ワシュティが彼の意に従わなかったので、王妃は廃位されます。BC483年のことです。
エステル記は、次の2章では、新しい王妃にユダヤ人女性のエステルがなることを記録しています。それは、王の治世第7年の第10の月【テベテ】(エステル2:16)とありますので、BC479年の冬です。
歴史的には、この間にクセルクセスⅠ世はギリシヤに侵攻して大敗北を喫しました。
■クセルクセスⅠ世のギリシヤ侵攻
BC480年、クセルクセスⅠ世、39歳、自ら10万の大軍と700隻の船舶を動員してギリシヤに上陸、アテネに進軍。しかし、アテネは事前に疎開して空っぽ。主戦場は海の上になります。陸から海戦を見物するクセルクセスⅠ世の目の前で、200隻のアテネ海軍を主力とする350隻のギリシヤ連合艦隊の前に、フェニキヤ海軍を主力とするペルシヤ海軍は壊滅。これが、サラミスの海戦です。
退路を断たれることを恐れたクセルクセスⅠ世は、将軍にあとをまかせて帰国してしまいます。海からの補給を断たれたペルシヤ陸軍10万は一冬を敵地にて越して、翌年夏にギリシヤ連合陸軍と決戦の戦いをします。これが、BC479年の8月、プラタイアの陸戦です。このときは、ギリシヤ側はスパルタの戦士が主力となって戦い、ペルシヤ軍の精鋭の騎兵隊を打ち破ると、ペルシヤ軍は総崩れとなって敗退しました。
■エステル記に記された王暗殺未遂事件
エステル記には、エステルが王妃になった直後に、王の側近による暗殺未遂事件があったことを記しています。ビグタンとテレシュによる王暗殺未遂事件です(エステル2:21〜23)。その背景には、ギリシヤとの戦いに大敗北を喫したクセルクセスⅠ世に対する不満があったものと想像されます。
エステルとモルデカイがこの暗殺計画を未然に防いだ功労者であったことが、それから6年後のアマレク人ハマンによるユダヤ民族虐殺計画を打破することになります。これが、BC473年、くじ(プリム)事件(エステル3:7、13)です。
□次回7月16日の集会では、ダニエル書11章3節「ギリシヤからの逆襲」、そしてゼカリヤ書の預言へと進みます。