福岡バイブルスタディ(福岡集会)

メシア的キリスト論 / 預言者 / ゼカリヤの預言「メシアがエルサレムに子ろばに乗って来る」 (1)

2016.05.23

カテゴリー:y メシア的キリスト論

2016年5月21日

■これまでの学び

福岡集会では、フルクテンバウム博士の「メシア的キリスト論」という本をテキストにして、メシアの初臨に関する預言を、律法・預言者・諸書の区分に沿って、学んでいます。
預言者の区分では、これまでイザヤ、エレミヤ、ミカの3つの預言書を見てきました。前回は、ミカ書により「メシアがベツレヘムで生まれる」という預言でした。今回から、ゼカリヤ書に入ります。

 ■ゼカリヤの預言「メシアがエルサレムに子ろばに乗って来る」

ゼカリヤ書の9章に、メシアがエルサレムに子ろばに乗って来るという預言があります。実際に、イエスは3年半にわたる宣教活動の末、紀元30年の春、エルサレムにメシアとして入城したとき、群衆が歓呼して迎える中を、ろばの子に乗って入城しました。
この預言の背景には、メシアの前に、侵略的な異邦人の王がエルサレムに来るという預言があります。当時は、異邦人の王は馬に乗るか、馬に引かせる戦車に乗るのが普通ですから、それとの対比で「子ろば」に乗るメシアが預言されるわけです。
メシアの前にエルサレムに来る侵略的な異邦人の王とは、ギリシヤのアレキサンドロスです。彼が歴史に登場するのは、紀元前330年頃です。ゼカリヤは、それを約200年前に預言しました。
しかも、ゼカリヤの時代は、ギリシヤではなく、ペルシヤの隆盛期です。当時のギリシヤは国力ではペルシヤの足もとにも及びませんでした。ペルシヤは2回、ギリシヤに侵攻しましたが、ギリシヤはそれを凌いで生き残り、150年後に逆にアレキサンドロス王が率いるマケドニヤ軍が電撃的にペルシヤに侵攻して、勝利しました。

そこで、今回から、ペルシヤ、そしてギリシヤへと時の覇者が移っていく流れをダニエル書などの聖書の預言と合わせて見ながら、ゼカリヤの預言の持つ意味を学びます。それと同時に、聖書のメシア預言の特色である二種類のメシア像、「苦しみ低められるメシア」と「勝利する王なるメシア」、この一見すると矛盾するメシア預言の関係について学びます。

 ■預言者ゼカリヤ

ゼカリヤは、バビロン捕囚から帰還した時期の預言者で、レビ族の祭司です。ここで、本論に入る前に、バビロン捕囚とは何か、も含めて、歴史を簡単にふりかえってみましょう。

 ■アブラム(のちのアブラハム)、イサク、ヤコブの時代

紀元前2166年にアブラムが誕生し、75歳のときに神はアブラムに対して、当時カナン人が住んでいた土地をアブラムとその子孫に与えると約束しました。その約束は、アブラムの子イサクが継ぎ、さらにその子ヤコブが引き継ぎました。そして、ヤコブが12人の息子たちと共にエジプトに寄留して430年、その間に人口は増えて12人の息子たちをもとに12部族ができ、12部族全体でイスラエル民族が構成されるほどになります。
なお、イスラエルというのは、ヤコブが91歳のときに、神から彼に与えられた名です。よくユダヤ人の祖はアブラハムだと言われますが、正確にはユダヤ人の祖はヤコブです。アブラハムの子にはイサク以外もいて、たとえば今のアラブ人は、アブラハムの子イシュマエルの末裔です。

 ■約束の地に建国

エジプトで寄留するイスラエル民族があまりに数が増えていくことに、エジプトの支配者たちは、もし彼らが反乱でも起こしたら大変だと危険視しました。その対策が、イスラエル民族を奴隷状態にして使役するということです。
紀元前1446年、神はモーセを指導者として立てて、イスラエル民族を400年の奴隷状態から解放し、エジプトを出国させます。それが「出エジプト」と呼ばれる出来事です。
エジプトを出て40年間の荒野の旅を経て、イスラエル民族が実際に約束の地に入り、自分たちの国を建設できたのは、紀元前1400年頃です。最初は、緩やかな部族連合の形態でしたが、紀元前1000年頃に統一王国になり、ベニヤミン族のサウルが初代の王、そして2代目の王がユダ族のダビデ、3代目はダビデの子のソロモンと続き、ソロモン王のときにイスラエル王国は最盛期を迎えます。
しかし、ソロモン王の死後、紀元前930年に王国は二つに分裂します。できたのは、ダビデ王朝を継承する南王国ユダと、それに反対して独立した北王国イスラエルです。

 ■分裂王国時代と預言者

分裂後、北王国にも南王国にも、神は預言者を遣わしました。北王国で活動した預言者は、エリヤとエリシャです。しかし、彼らを通して語られた神のことばに北王国の指導者たちは聞き従わず、紀元前722年、北王国はアッシリヤによって滅ぼされ、住民はアッシリヤに強制移住させられました。これがアッシリヤ捕囚です。この頃に、南王国で活動した預言者がイザヤであり、ミカです。

 ■バビロン捕囚の時代と預言者

南王国ではダビデの血筋を引く王が継続したとはいえ、神に従わない王が多く、結局は南王国も神の加護を失います。この時期に、国家滅亡の危機に瀕する南王国ユダの首都エルサレムで預言者として活動し、ついにはエルサレムの神殿破壊を目撃することになるのは、エレミヤです。エレミヤもレビ族の祭司です。
紀元前586年、バビロニヤのネブガデネザル王によって、首都エルサレムが攻め落とされ、城壁も町も、ソロモンの神殿もろとも破壊され、住民の多くがバビロンに強制移住させられました。これがバビロン捕囚です。
実は、バビロン捕囚はこのとき初めて行われたものではなく、その前に2回行われています。南王国の国力をそぐと共に自国で活用するための措置で、各方面のプロたち(軍人、技術者、学者など)の中から有能かつ若手の人々が連行されました。
第1回は紀元前605年、このときの捕囚のひとりが、ユダ族の少年ダニエルです。彼はのちにバビロン王の政府において重く用いられるとともに、彼に啓示された多くの預言が、ダニエル書という預言書として後世に残ることになります。
第2回は紀元前597年、このときの捕囚の中にレビ族の祭司エゼキエルがいました。彼もまたエゼキエル書という預言書を残します。
このように、ダニエルもエゼキエルも、バビロンで捕囚の民の中にあって活動したわけです。

 ■バビロニヤの滅亡とメディヤ・ペルシヤの登場

バビロニヤは、第2代の王ネブガデネザルのときに無敵を誇りますが、その王の死後は急速に衰微していきました。王の死後わずか23年後、ベルシャツアル王のときに、一夜にしてメディヤ・ペルシヤの軍勢に攻め込まれました。宴会直後だった王は殺されて、バビロニヤはあっけなく滅びました。紀元前539年のことです。
このときの攻撃軍の指揮者はメディヤ人ダリヨスです。62歳という高齢にもかかわらず、彼が立ち上がった背後には、神の助力があったと、ダニエル書11:1に記されています。
「メディヤ・ペルシヤ」という国名が表しているように、この国はメディヤ人だけの国ではなく、ペルシヤ人との連合国です。歴史的にはメディヤの方が、兄貴格です。創世記のノアの子ヤペテの子孫のリストに、マダイ(創世記10:2)とあるのはメディヤのことです。
ぺルシヤは、メディヤとは同族ですが、分家というか、後発国のような立場です。しかし、バビロニヤが衰退していった時期にペルシヤは頭角を現し、実質的にはメディヤを併合して「メディヤ・ペルシヤ」となります。主導権を握っていたのはペルシヤです。そこで、高齢のダリヨスが1年で王から退いたあとを継いだのは、ペルシヤ人のクロス、紀元前538年のことです。
なお、預言者ダニエルは、バビロニヤのネブカデネザル王の死後は政府高官から退いていましたが、メディヤ・ペルシヤの時代になって復帰させられ、ダリヨス王、クロス王の2代にわたって、重く用いられました(ダニエル6:28)。

 ■クロス王による帰還命令

紀元前538年、メディヤ・ペルシヤのクロス王は即位するとすぐに、イスラエル民族に対する統治政策を転換して、強制移住を解除しました。そればかりか、バビロニヤが保管していた神殿の祭儀用器具を返還するとともに、神殿再建を命じました(Ⅱ歴代誌36:22〜23)。紀元前538年のことです。
もちろん、帰還といっても簡単にできるわけではありません。ユダヤ人たちはすでに70年近くを当時の世界第一の経済都市でもあるバビロンに住んで、生活基盤はしっかりとこちらにあります。帰還先は、良いところには異民族が住みつき、空いているところは荒廃地です。ユダヤ人たちは心情的には帰りたくとも、帰還して再建するのは、神殿だけでなく、生活基盤そのものから始めなければならなかったのです。

 ■神殿再建着工

信仰をもって立ち上がり、帰還第一陣となった人々の名簿が、ネヘミヤ記12章にあります。指導者はユダ族のゼルバベルとレビ族の大祭司ヨシュアです。ゼルバベルは、ダビデ王の子孫です。彼らが帰還したのは紀元前537年、そしてその翌年、紀元前536年にエルサレムの神殿跡に集まり、神殿再建にとりかかりました。第1回捕囚(紀元前605年)から実に70年目のことです。これにより、エレミヤの70年の預言が成就しました。
しかし、神殿再建工事は、周辺の異民族からの妨害を受けて中断します。その困難な時期に、工事再開のために神のことばをもって民を励ましたのが、預言者ゼカリヤです。

 ■預言者ゼカリヤ

ネヘミヤ記12章の帰還第一陣の名簿の中に、祭司でイドという人がいます。そのイドの孫が、ゼカリヤです。ネヘミヤ12:12〜16を見ると、ゼカリヤは祭司の氏族イド族の家長として名前が出ています。
彼が預言者として立った時期は、ゼカリヤ1:1に「ダリヨス王の第二年」とありますから、紀元前520年です。この年に神殿再建工事は再開し、紀元前516年に完成しました。なお、このときの「ダリヨス王」とは、クロスの前任者であった初代の王ダリヨスではなく、クロスよりも後、4代目の王である「ダリヨスⅠ世」のことです(参照:資料「バビロニヤとペルシヤの王」)。

 ■イザヤの預言

クロス王による帰還と神殿再建命令について、イザヤが預言していました(イザヤ44:28〜45:7)。この預言の時期は、紀元前715年と推定されます(イザヤ36:1)。クロス王の登場は177年も先のことであり、当時の覇者はまだアッシリヤです。その頃のバビロニヤは、アッシリヤの足もとに伏す弱小国のひとつで、南王国ユダにとっては、何の脅威も感じない遠い国のひとつでしかありません。まして、メディヤ・ペルシヤは影も形も見えませんし、クロスは生まれてもいません。
この時代、南王国ユダもエルサレムの神殿もまだ健在であり、その神殿が破壊される日が来るなど誰も想像すらしていません。こういう時代に、イザヤは「クロス」と名指しで、神殿再建の命令がクロスから出ることを預言したのです。
もちろん、クロスはユダヤ教徒でもなければ、聖書の神を信じていたのでもありません。イザヤの預言の中でも、クロスは聖書の神を知らないと預言されています。この預言を通して、人が知るべきことは、聖書にご自身を啓示された神のみが神であり、このお方は歴史を計画し、その通りに動かしておられるということ、そしてこのお方以外に人を救うことのできる神はいない、ということです。

■次回は、ペルシヤとギリシヤの戦い、そしていよいよ、ギリシヤの王、アレキサンドロスの登場です。ダニエル書とエステル記の関係も見えてきます。その歴史的背景を理解すると、メシアが馬ではなく、ろばの子に乗って来ることの意味が、よりわかりやすくなると思います。集会は、予定通り、第三土曜日、6月18日午後1時半です。

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