福岡バイブルスタディ(福岡集会)

メシア的キリスト論 / 預言者 / しもべの訓練(イザヤ50:4〜9)

2015.09.13

カテゴリー:y メシア的キリスト論

2015年11月21日

私たちは、旧約聖書の中で、イエス様が救い主(メシア)としてこの世に来られることについて、どのように預言されていたか、を、アーノルド G.フルクテンバウム博士の著書「Messianic Christology」を通して学んでいます。本日は、旧約聖書のイザヤ50:4〜9から、「しもべの訓練」というテーマを扱います。

このテーマに入る前に、前回までの流れをざっとおさらいしましょう。

私たちが今、手にしている聖書には、旧約聖書と新約聖書とがありますが、イエス様の時代には新約聖書はまだありません。旧約聖書だけでした。それも「旧約聖書」とは言わないで、「律法と預言者」と呼ばれていました。それは、当時のへブル語聖書が、3つの区分、律法、預言者、諸書に区分されていたからです。
第一の区分、 「律法」とは、創世記から申命記までのモーセ五書を指します。私たちは、モーセ五書の中から、5つのメシア預言をとりあげました。

創世記3:15    女の子孫
創世記22:18    アブラハムの子孫
創世記49:10       ユダの子孫
民数記24:17    ヤコブから一つの星が上る(バラムの予言)
申命記18:15〜19  モーセのような預言者
第二の区分、「預言者」に入って、イザヤ書を学んでいます。

まず、イザヤ7〜12章です。

ここは「インマヌエルの書」と呼ばれます。「インマヌエル」という名が3回(7:14、8:8、10)出てくるからです。8章10節の最後の文は「神が、私たちとともにおられるからだ」と訳されていますが、ここは7:14、8:8と同じことば「インマヌエル」であり、直訳すると、「インマヌエルのゆえに」となります。
インマヌエルとは、英語でいうと with us, God 。神様が人の子に名前をおつけになるときは、その子の性質を表します。ですから、メシアの称号が「インマヌエル」であるとすると、メシアの性質は、「私たちの間に神がおられる」ということになろう、という意味になります。

では、イザヤ7〜12章の中の預言をおさらいしていきましょう。

イザヤ7:13〜14は、処女がみごもって、メシアを産むという預言でした。ここでは、神がダビデの血筋を守る、それはいつまでか、「処女が男の子をみごもり、その子の名はインマヌエルと呼ばれる」までである、と預言されています。この誕生が起きるまでは、ダビデの家に対するいかなる攻撃も失敗するというのです。
イザヤ8:9〜10では、神がダビデの家を守るということが、再び確認されます。10節全体の意味は、「攻撃したければ、するがよい。しかし、インマヌエルのゆえに、おまえは必ず打ち負かされるであろう」となります。「インマヌエル」とはメシアです。メシアが処女から生まれるまでは、神はダビデの家の血筋を守られる、という約束です。
では、ユダヤ人でダビデの家系かどうかが判明していたのは歴史的にいつまででしょうか。それは、紀元70年にローマ軍によってエルサレムとその神殿が破壊され、ユダヤ人の系図戸籍が喪失したときまでです。

ということは、メシアは、紀元70年よりも前に、生まれていたはずです。今でもユダヤ人の人々はメシアの到来を待ち望んでいますが、それはこのイザヤ書の預言とは一致しないことになります。
イザヤ9:6〜7では、メシアが人であり、同時に神であることが、示されています。

9:6a・・・「ひとりの男の子」とありますから、人です。

9:6b・・・ここには、メシアがもつ4つの称号が出てきます。「不思議な助言者(Pele-Yoeitz)」、「力ある神」、「永遠の父」、そして「平和の君」です。最初の3つ、不思議、神、永遠は、すべて神を表していて、人には使わない単語です。4番目の称号の中のことば、、「平和」と「君」はへブル語の単語としては人にも用いられますが、イザヤ書では「平和」は必ず神との関係で語られます。したがって、メシアは神であられます。
9:7・・・・メシアは、王として支配すると預言されています。メシアは、ダビデの王位に着きます。それはダビデ契約の成就でもあります。ダビデ契約とは、神がイスラエル王国2代目の王、ダビデと結ばれた契約です。諸書の区分、Ⅰ歴代誌17:10b〜14に出てきます。その契約の中には、4つの永遠のものが登場します。永遠の家(王朝)、永遠の王国、永遠の王座、永遠の息子です。メシアは永遠の息子です。このお方によって、王朝・王国・王座は永遠となります。
11:1〜2は、「エッサイの根株」の預言です。エッサイというのは、ダビデのお父さんです。ダビデの生家は、エルサレムに近い町、ベツレヘムの貧しい羊飼いの家でした。根株というのは、かつては大きくそびえていた大木が切り取られて、その切り株だけが残っている状態です。この預言は、メシアがダビデの家系に生まれるが、生家は没落して貧しい状況にあるであろう、という意味になります。しかし、同時に、メシアには七重の聖霊が満ちて、それに呼応した働きをするであろう、と預言されています。ここには七重の聖霊が登場します。その象徴は、メノラー【七枝の金の燭台】です。
以上でインマヌエルの書と呼ばれるイザヤ7章から12章にかけての学びを終え、次に、「王の先駆者」の預言(イザヤ40:3〜5)を扱いました。これは、メシア本人についての預言ではありません。「先駆者」というのは、王が旅をするときに、王より先に行って、王が来ることを先触れするとともに、道を掃除したり、穴をふさいだりして、道を整える、そういう役割の人です。メシアが来るときには、その前にまず先駆者が現れることが預言されました。福音書に登場する「バプテスマのヨハネ」が、その人です。

さて、次に、私たちは、イザヤ42章〜66章、「しもべ」の預言と呼ばれる分野に入ってきました。「しもべ」も、聖書の中では、メシアのタイトル称号のひとつです。しもべ預言には5つあります。

42:1〜6     ヤハウェのしもべ
49:1〜13     しもべの落胆
50:4〜9     しもべの訓練
52:13〜53:12  しもべの受難
61:1〜3     しもべの使命
まず、1番目の預言 「ヤハウェのしもべ」42:1〜6。これは、しもべの全体的な紹介です。

1節 その地位・立場・・・聖霊によって油注ぎを受ける
2節 そのふるまい・・・柔和な方としてふるまう
3節 その人となり(性質)
4節 その成功・・・一見すると失敗したかのように見えるが、実は完全に成功する。そのためには彼の死が必要である。
5節 その使命・・・異邦人に救いをもたらすことも含まれる

次に、2番目の預言 「しもべの落胆」イザヤ49:1〜13です。先の預言では「しもべ」の全体的な紹介がありましたが、その中の「一見すると失敗したかのように見える」という部分を、もう少し詳しく扱う預言です。

1〜4節・・・しもべの落胆
5〜6節・・・神の答え
7節・・・メシアの拒絶と高揚
8〜13節・・・メシアによるイスラエルの回復

要約すると、メシアは初めはユダヤ人たちに拒絶されます。しかし、メシア拒否が起こる目的は、異邦人に救いをもたらすためです。一定の期間、異邦人信者がユダヤ人信者よりも多い時代が続きます。

この状態が続くのは、新約聖書によると、「異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われるであろう」(ローマ11:25〜26)と預言されています。この期間は、教会に入れられる人の数が満ちるまで続きます。その数が満ちると、携挙が起こります。携挙というのは、真の信者が死んだ者もその時生きている者も、イエス様の復活の体と同じ体、新しい体を与えられて天に引き上げられることを指します。携挙の後、神は再び、ユダヤ人たち(=イスラエル民族)と向かい合います。その期間は7年間(大患難期)、最終的に生き残った「イスラエルはみな救われる」のです。
イザヤ49章7節の前半では、メシアはイスラエルにさげすまれ、忌み嫌われます。今でもユダヤ人の人たちは、イエスをメシアとは認めず、忌み嫌っています。しかし、7節後半では栄光と誉れを受け、全世界の王や首長たちから礼拝を受ける、と預言されています。
さて、いよいよ今回のテーマ、 3番目の預言である「しもべの訓練」です。

まず、イエス12歳の時の記事(ルカ2:41〜50)を見ましょう。少年イエスは、エルサレムの神殿で、ユダヤ教の教師たちと深い神学的議論ができるほどの知識をどこから得たのでしょうか? 自分の本当の父は、ヨセフではなく、父なる神である、という理解をどうやって得たのでしょうか?
イエスの少年時代における学習過程をかいま見せる預言が、ここイザヤ50:4〜9です。

4節  ・・・メシアは教えられる

毎朝、父なる神が子どものイエスを起こしました。その類例は、Ⅰサムエル3:1〜18に出てきます。サムエルというのは、ダビデのお父さんエッサイと同時代の人で、ダビデを王に任命する働きをになった預言者です。彼も少年時代に寝ていて神様に起こされるという体験をしています。
イザヤの預言から、イエスが子どもの頃から、早朝の時間帯に、神からの指導を受けていたことがわかります。

では、指導の内容はどういったものだったのでしょうか。自分は何者なのか、自分の使命は何か、そのためには、どのように行動すべきか、どのように対応行動すべきか、といった内容だったでしょう。イエス様が公に伝道を開始したのは紀元26年頃、ルカの福音書には「年の頃およそ30歳」とあります。幼子だったイエスを殺そうとしたヘロデ大王が死んだのが紀元前4年ですから、おそらくイエスの誕生は紀元前7年頃と推定されます。そうすると、公生涯開始のとき、33歳となります。

子どもの頃から早朝特訓を受けて12歳のときにはすでに、天の神を「父」と認識し、深い神学的理解を得ていたのですが、イエスはさらに30歳過ぎまで訓練を受けておられたわけです。3年半の公生涯で、イエスは何度も「わたしは、自分から語るのではなく、父から聞いたままを語る。自分から行うのではなく、父に言われたとおりのことを行う」と言われました。それは、まさしく、そのように訓練を受けておられたのです。
5〜6節・・・メシアは侮辱される

ここには、メシアが学ぶべき中心ポイントが明らかにされています。それは、「メシアは、苦しみを受け、死なねばならない」というとです。このことを教えられても、イエスは、公生涯が始まるまで、逆らわず、後ろに退くことをしませんでした。そして、その時がきたとき、メシアは攻撃者の手にご自身をゆだねました。
6節の記述は、福音書に記録されたユダヤ教の宗教裁判とローマ総督による裁判での出来事そのものです。

ヨハネ18:22〜23
ルカ22:63〜65
マルコ14:65
マタイ27:26〜31
マルコ15:16〜20
7〜9節・・・メシアは主(ヤハウェ)によって助けられる

メシアが、非常な苦しみに耐えることができるのは、なぜでしょうか。ここには預言されていませんが、その苦しみは死にまで至るのです。そのような苦しみに耐えることができたのは、なぜでしょうか? それは、次のふたつです。

8節:神が共にいてくださる、という信頼であり、平安です。
7節:「恥ずかしい態度をしてはならない」と知っていたのです。どんに脅されて逃げません。どんなに苦しめられても、悲鳴をあげず、泣き叫びません。それは、自分はこのために神から遣わされた者であるという、毅然とした自覚です。これは、人としてのイエス様が父なる神から長年にわたる教えと訓練を受けた結果です。

今日の学びをまとめましょう。イザヤ50:4〜9が教えるのは、次の3点です。

メシアは、父なる神から特別な訓練を受けます
メシアの初臨、その特徴をひと言でいえば、「苦しみを受ける」です
メシアは従順に、その身に虐待をお受けになります

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