1871(明治4)年12月、横浜を出港した欧米視察の「岩倉使節団」一行の中に幼い少女の姿がありました。
それは、北海道開拓使が募集した日本最初の女子留学生5人のうち最年少の津田梅子(1864.12.31~1929.8.16)、満6歳です。年端もいかない娘を米国留学させようとした旧幕臣の父・津田仙の無謀とも思える決断が、後に津田塾大学を創立し、日本の女子教育の先駆者となった梅子を育てることになるのです。
一行を乗せたアメリカ丸は翌年1月サンフランシスコに到着、梅子は、ワシントン近郊ジョージタウンに住むクリスチャンのランマン夫妻に預けられます。
1873年春、梅子は、洗礼を受けたいとランマン夫妻に打ち明け、この年の7月13日ブリッジポートのアッパーメリオン・キリスト教会で受洗しました。ペリンチーフ司祭は当初、梅子に幼児洗礼を授けようと考えていたが、梅子が大変しっかりしていたことから、成人の洗礼を授けたと記録に残っています。
(この津田梅子、 2024年に発行される新五千円札に登場することが決まっています。)
さて、恵比寿マンディは、12月2日(月)13時~15時、恵比寿カルフールで開催します。皆様のお越しをお待ちしております。
〔主な内容〕
祈り・賛美に続いて、イスラエル国旗についてのショート・メッセージ(通訳:松村慶子姉)、東京定例会メッセージ「使徒の働き」第85回―パウロの弁明(2)ーの分かち合い