クリスマス休戦とは、第一次世界大戦(1914年〜1918年)緒戦の1914年12月25日に西部戦線各地で起こった一時的な停戦状態のことを言います。(西部戦線:イギリス・フランスなど連合国対ドイツの戦いで、ベルギー南部からフランス北部にかけて構築された戦線)
1914年12月25日、第一次世界大戦が始まって最初のクリスマス。敵味方に分かれて戦うイギリス軍・フランス軍とドイツ軍に、神は素晴らしいプレゼントを用意されました。
1914年厳冬の西部戦線、鉄条網を挟んでイギリス軍・フランス軍とドイツ軍が対峙していました。 距離にしてわずか100m。この塹壕戦は砲撃の応酬で悲惨なものでした。
すると戦場に響き渡る「きよしこの夜」第一次世界大戦が始まって初めてのクリスマス、ドイツ軍の塹壕から「きよしこの夜」の調べが流れてきました、その歌声の主は、ドイツの有名なテノール歌手ヴァルダー・キルヒホフ。彼はクリスマス慰問のためにドイツ軍塹壕を訪れていたのです。
その歌声は、聞き覚えのある「きよしこの夜」だと気付いたフランス軍将校がドイツ軍塹壕に向かって大きな拍手を送りました。その拍手を聞いたキルヒホフは、憎むべき敵でありながら、自分の歌声に拍手を送ってくれた人がいることに感動します。
その瞬間、戦場は戦場でなくなってしまいました。
この様子を見ていた両軍の兵士たちは、恐る恐る塹壕から出てきて、自発的に敵兵との交流を始めてしまったからです。その響きは、すさんだ戦場全体を包み込み、徐々に兵士たちの声が一つになり、ぬかるんだ塹壕に、「クリスマスおめでとう。」の声が響き渡りました。
こうして、クリスマス休戦が始まりました。
敵同士が分け隔てなく、クリスマスを祝福しました。やがて、手を握り合い、戦死者を埋葬し、チョコレートや菓子、酒・タバコなどの配給品を交換しました。サッカーの試合も行われました。
しかし、それも長くは続きませんでした。
新年を迎える前に停戦は終わり、戦闘が再開したからです。
その後、第一次世界大戦中に3回クリスマスを迎えましたが、休戦はこの1回限りでした。
戦争の最前線で勝手に交流されたら、戦意が落ちるという理由で、彼らは、上層部から大目玉を食らったということです。
クリスマス休戦の後、第一次世界大戦は更に3年も続き、2千万にのぼる人命を奪ったのです。
( 以上、インターネット上の複数の記事をアレンジして記してみました。)
本当は戦いたくないという本心と、祖国のために戦わなければならない愛国心との葛藤の狭間で起きた、クリスマスの奇跡とも言うべき出来事です。この《美談》は、戦争がなければ生まれてこないものですが、争いの絶えない現代の世界に、再びこのような《美談》が起こらないよう、願わずにはおられません。