2 聖書が示す栄化と平安
1) 栄化 ― 主と同じかたちに姿を変えられる。
コリント人への手紙第二(新改訳2017)
3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。 文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。 文字は殺し、御霊は生かすからです。
3:7 石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。 そうであれば、
3:8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。
3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。
3:10 実にこの点において、かつては栄光を受けたものが、それよりさらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているのです。
3:11 消え去るべきものが栄光の中にあったのなら、永続するものは、なおのこと栄光に包まれているはずです。
3:12 このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。
3:13 モーセのようなことはしません。 彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。
3:14 しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。 今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。 それはキリストによって取り除かれるものだからです。
3:15 確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。
3:16 しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
3:17 主は御霊です。 そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
3:18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。 これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
2) 栄化 ― キリストに似た者になる。
ヨハネの手紙第二
3:2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。 やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。 しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。 キリストをありのままに見るからです。
3:3 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。
3) 栄化 ― 栄光を与えられる。
ローマ人への手紙
8:27 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。 なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。
8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。 それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
8:30 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
4) もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
黙示録
21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。 以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
21:3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。 神は人々とともに住み、人々は神の民となる。 神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
21:4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。 もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。 以前のものが過ぎ去ったからである。」
5) 神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。
詩篇
73:25 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。 地では私はだれをも望みません。
73:26 この身も心も尽き果てるでしょう。 しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。
以上