(実りの秋です。 主を賛美します。)
【御代田・軽井沢バイブルスタディ、分かち合いの概要】:
第76回目、11月17日(土)、御代田の岩崎宅にて実施。 8名参加。 使徒の働きCD#11、「初代教会の誕生」、聖書箇所:使2:41〜47を聞いて分かち合った。
① 初代教会の誕生の時「ペテロのことばを受け入れた者」は悔い改めて応答したと学んだ。 ここでの「悔い改める」とは「考え方を変える」ということで、イエスを拒否した世代と決別することを意味する。 実際この時代に「決別」とは、夫婦だった場合、縁を切られた妻は生きていけなくなると思うが、どうだったのだろうか。 これに対して、意見は割れた。 そうなったのだろうという意見と、いや、夫婦の縁までは切れなかったのではないか。 今の恵みの時代、私たち異邦人では、家族の中で救われた者が夫婦や親子の縁を切るまでには至らない。 まだ救われない家族のために祈り続けるケースが殆どだろう。
② 結論のところで、シナイ山での金の子牛事件で三千人が死んだが、使徒の働き2章では三千人が救われて生きるようになった。 この二つの事象はこれまで関係あるとは思わなかった。 こじつけのようにも思えてしまう。 しかし、第二コリント3:6にある「文字(モーセの律法)は殺し、御霊(聖霊によるバプテスマ)は生かす」を読むとそうでないだろう。
③ 初代教会の誕生で救われた者は皆ユダヤ人だった。 ところがその後世界に広がった教会では異邦人が大半だった。 ともすると、福音を信じて救われる「新しい契約」はイエスを拒否したユダヤ人から異邦人主体の教会に移ったのだという人がいるが、決してそうではない。 以前はあまり重視していなかったエレミヤ書の31:31〜34で、父なる神は「新しい契約はイエスラエルの家とユダの家と結ぶ」とはっきりお語りになっている。 異邦人は、ユダヤ人に与えられた「新約」を恵みによって接ぎ木されていただいているだけだ。 皆でエレミヤ31:31〜34を声を出して読んだ。
以上
(御代田・軽井沢では紅葉を終えて落葉が始まりました。 自然を創られた主をあがめます。)