【分かち合いの概要】 9名参加。 聖書箇所、マタイ26:1〜30.
マタイCD#26前半「聖書が教える救いの道が何であるかを確認する」を聞いて分かち合った。
① 最後の晩餐が過越の食事であること、そこにはへブル的な視点で理解すべき儀式があったこと、メシアニックジューが理解しても伝統的ユダヤ教の人たちには理解できなかった聖書の真理がたくさんあったこと、を学べたことは覚醒の思いがする。
② 「聖餐式」について、パンは御子イエスのみからだのこと、杯は十字架で流された血であることを「記念して」行うことが良くわかった。 聖餐式を受ける時の気持ちが整えられる。
③ そこから聖礼典に話が進んだ。 カトリック教会は7つ、ブレザレンは洗足式を入れて3つ、などとしているが、聖礼典は、⒜イエスが命令され、⒝初代教会以降実際に行われ、⒞書簡の中で教理が解説されている、という3つの条件がそろうことが本来の聖書的なものであり、そう考えると2つしかないことがよくわかる。
④ もう一つの聖礼典である「洗礼式」の意味も皆で話し合った。 2年前鹿児島で中1の兄弟の洗礼式があったが、その時の中川先生の洗礼式のお話を披露した。 洗礼式は新生したことを示し、「お葬式」であり、「誕生日」でもある。 それと「イエス様に染まる」ことだ。 それを聞いて子どもたちも含めて皆、納得できた。
⑤ 今回もハーベスト聖書かるた取りをやった。 子どもたち二人はみことばが自然に入って、主に素直に応答しているように感じた。 若い時に主を知り、クリスチャンになることはなんとすばらしいことだろうか。 感謝。
以上