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杉並聖書フォーラム

4/26(水)杉並聖書フォーラムのご報告

2017.05.01

カテゴリー:分かち合いのご報告

2017年4月26日(水)実施、15名参加。

【分かち合いのご報告】 出エジプト記CD#33「シナイ契約(6)」(聖書箇所23:1~19)を聞いて分かち合った。

① モーセの律法はイエス様が十字架で死んでくださった時点で成就し、今のクリスチャンには適用されないと学びました。 教会の先輩格のある人はそのことを無視して十戎も律法もしっかり学ばなければならないと強調する。 例えば十分の一献金についても聖書に書かれていると言う。 どう考えれば良いのだろうか。 ルカ11:42でイエス様は「だが、わざわいだ。 パリサイ人。 おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。 これこそしなければならないことです。 ただし、十分の一もなおざりにしてはいけません。」とおっしゃっており、その人たちは、だから十分の一を捧げなければならないと言う。 これに対して、フォーラムのある兄弟はキッパリと回答した。 「モーセの律法は終わった。 キリストの律法には献金について十分の一という規定はない。 神の愛と恵みに対して自分のベストで献金すればよい。 献金はクリスチャンの特権でもあり、捧げる賜物のひとつでもある。」

② 出エジプト記23:15の巡礼祭のところで「だれも、何も持たずにわたしの前にでてはならない。」とあったが、これはどういう意味だろうか。 皆で意見を出し合ったが、ある信者が聖書の下部にある参照聖句のところで申命記16:16~17が出ているとしてそこを読み、納得した。 そこには「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、【主】の選ぶ場所で、御前に出なければならない。 【主】の前には、何も持たずに出てはならない。 あなたの神、【主】が賜った祝福に応じて、それぞれ自分のささげ物を持って出なければならない。」とある。

③ メッセージ結論のところで巡礼祭として、仮庵の祭りは千年王国を予表しているとあった。 どのような関係でそう予表されるのだろうか。 このことははっきりした説明ができなかったので、スタッフにて次回までに調べて報告することになった。

④ 正義と公正は神のご性質がその動機になっているとあり、「イエス様ならどうされるだろうか」、「イエス様は私に何を期待されているだろうか」、そして最高に素晴らしいのは「私が実行すべき聖句は何だろうか」ということに感動した。 ハレルヤ。

 

                                          以上

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杉並聖書フォーラム

代表:岩崎 洋二

   副代表:西平  薫
       岩崎 直美

杉並には神田川が通っています。 上の写真は今年の4月に久我山で撮った桜が咲いた写真です。 丸囲みの写真は、散策している時に見つけた菜の花です。 主を賛美します。

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