(御代田・軽井沢バイブルスタディを終えてエコールみよたの部屋から出たところ)
【分かち合いのご報告】 「60分でわかる旧約聖書、歴代誌第一」を聞いて分かち合った。 2017年8月19日(土)実施、13名参加。
① 別の教会にも集っているある姉妹が言った。 「これは今日のメッセージから外れているかも知れないが、教会の祈り会の席で、“上にある権威に従うべきだ”、とのロマ書13章の話が出た。 その祈り会では、聖書を読む時に時代背景などを考えずに読むことが多いので、すべてのことに適用しようとしてしまっていて、困ったなぁ、と思った。」 これに対して別の信者からは、「聖書塾でも教わったが、権威が神のしもべの働きをしていないなら、私たちは従うべきでない」と発言あり。 いずれにしても、聖書は、文脈、書かれた時の時代背景、誰が誰に向かって何のために書いたのか、へブル的な知識などを無視して読んでしまうと、おかしな解釈に陥ってしまう。
② 「再記述の法則」が出て来たが、このことも聖書を正しく理解する上で非常に大切な法則だ。
③ 今日のメッセージで、主は私たちが従順なら祝福してくださる、しかし、不従順なら矯正のための訓練が与えられると学んだが、それは主のご愛そのものだ。 感謝。
④ 歴代誌では取り上げていないが、ダビデはバテ・シェバとの姦淫の罪と彼女の夫ウリヤを殺したことを悔い改めたと何度も聖書に出て来る。 しかし、ソロモンは最初は良かったが、後になって多くのそばめを持ち、彼女たちが持ち込んだ偶像礼拝を自ら犯す罪を犯している。 でも、ソロモンがそのことを悔い改めたという記事は聖書に出て来ない。 果たしてソロモンは本当に救われたのだろうか。 天国に行った時にソロモンはそこにいるのだろうか、と思ってしまう。
【特記事項】 MG姉、SG姉(中2)、AG姉(中1)の洗礼式を上記バイブルスタディの後、岩崎の御代田の家に移動して行った。 12名が参加した。 以下は、この3名の洗礼式の証しです。 洗礼式の後、聖餐式も行い、主を賛美しました。 皆様にお祈りいただきありがとうございます。
(1) MG姉の証し:
(小諸在住のMG姉は2人の娘さんのお母さんです)
私は宗教とか神様というものを全く理解できない者でした。 学校の社会の授業でいろんな宗教を習っても、なんでこんなに沢山の神様がいるのか、宗教っていうのは結局何なのか分からず 興味もなく 追求しようとも思いませんでした。
ただ 本当に神様がいるのなら1人だけで、一神教が正しくて 多神教はおかしいなと、その位の感覚でした。 私はいつも 誰かに認めて欲しい、受け入れて欲しい、と強く思っていました。 仕事もその為だけにやっていました。
生きていてもいい、ここにいてもいい、その理由を失わないために必死でした。 認めてもらえないと やっぱり私はダメなんだと。 子供達が保育園から幼稚園に途中編入し、その幼稚園が教会がやってる幼稚園でした。
友達作りたさに教会に行ってみました。 宗教に対して 否定も肯定もなかったので、抵抗感なく行けました。 その時CSでのメッセージが、ヨハネによる福音書15章からでした。 4節の「私に繋がっていなさい」という御言葉が本当に嬉しかったです。 なんだ、ここにいたんじゃない、と思いました。
絶対に私を見捨てない、そのままの私を受け入れて下さるお方。 私なんかでもいいと言ってくださるお方。 そういう方を人間の中で見付けようとしていたから無理だったんだなと気付きました。 もしこの御言葉が、私に繋がっていてもいいよ、だったら、その中に私は入っていないんだろうなと、諦めて、去っていたんだろうなと思います。
その後もいろいろありました。 神様の御心はこうかもしれないけど、私は絶対そうはなりたくない、無理です、その事については反抗します、といった時も、時間をかけて私の心を変えて下さり、そのまま受け入れられるようにしてくださいました。
神様は私のことを全て 完全にご存知です。 私の強情さも、どうすれば素直に動くのかも、全てご存知です。 私は今、どうするべきなのか、何をしたいのか、全く分かりませんが、神様が私に合った方法で、必ず心も体も導いて下さることを信じています。
滴礼で洗礼を受けた時は、牧師を慕っていただけで、福音も救いの三要素も理解していませんでした。 でも今は違います。 御子イエス様が十字架にかかってくださって私の罪を赦してくださり、永遠の死から私を救ってくださいました。 そしてイエス様は、死んで葬られ、三日目に復活して今も生きていつも共にいてくださることがしっかり理解できました。 そう信じていますので、主の弟子として聖書にある通りに浸礼でもう一度洗礼を受けたいと思いました。
日々新たにしてくださいますように。 日々成長させてくださいますように。 感謝します。
以上
(2) SG姉の証し:
(SG姉は小諸在住の中2、バイブルスタディは皆勤です)
もし、今 神様を信じていなかったとしたら、自分は人間が作ったお守りに囲まれていたと思う。 今は全くそんなのに力があるなんて思っていない。
私は実際に神様がおられることを信じています。
神様を知らないとき、自分で作って大成功した物には全て力があると思っていた。 本当に神様を知ってから 今までに何回も祈りが聞かれたこともあった。 それでもっと祈ることの大切さを知った。 心に平安が来た。
その神様が、ご自分のひとり子のイエス様を私の罪のために十字架刑になさり、イエス様はお墓に葬られ、三日後に復活されて今も生きておられることを信じます。 だから、何回も祈りが聞かれたし、もっと祈るべきだと思ったのです。
以上
(3)AG姉の証し:
(小諸在住のAG姉は中1、同じくバイブルスタディは皆勤です)
今だったら、悪いことを考えていたら、これは悪いことだし、神様はこんなことは喜ばないなと思ってほかのことを考えるけど、神様のことを知らなかったら、そんなことも考えないでいると思う。
今、聖書の神様が実際におられることを信じています。
前は、イザヤ41:10にある、「恐れるな。 わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。 わたしがあなたの神だから。 わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」の御言葉で、夜こわい時に、思い出して、トイレに行けた。 今(最近)は、こわ〜い時は、神様にお祈りをする。 それで、神様から平安をいただく。
その神様のひとり子であるイエス様が私の罪を赦すために十字架で死んでくださり、お金持ちのお墓に葬られ、三日後に復活されたことを信じます。 だから、あなたを守るというイザヤ書のみことばも自分のためだと思えるのです。
以上
今回のご報告は長くなってしまいましたが、大きな主の祝福をいただきました。 皆様のお祈りを感謝しています。
以上
(主はすばらしい)