【実施状況】
人数 3名
場所、時間 重森宅 14:00~16:30
【学びの内容・分かち合い】
1、「ヨハネの黙示録」‐第2回‐を視聴し、分かち合いをした。
2、黙示録1:3では、クロノス(単なる時間の流れを表す)ではなく、カイロス(神の主権によって決められた時)が使われている。
黙1:3 「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時(カイロス)が近づいているからである。」
ここでは文脈上、次に起こる「携挙」の時のことを指している。このことより、以下のことを学んだ。
「キリスト教信仰は歴史観である」
私たちは、単なる時間の流れ(クロノス)の中に生きているのではなく、神の主権による時間(カイロス)の中に生かされている。
「キリスト教信仰は歴史観である」という考えがディスペンセーショナリズムを学んで、強く感じる。そして、ディスペンセーショナリズムを学んで初めてキリストは歴史の支配者で、聖書の中に本物の歴史哲学があることを発見し、キリスト教信仰に歴史観が与えられることを知った。また、神が歴史を支配しておられるから、何があっても大丈夫なんだ、という信仰と平安が与えられていくんだ、と学んだ。
【特記事項・次回案内】
次回は8月28日(日)14:00~16:00、重森宅にて開催します。内容は「マタイの福音書」‐第16章‐を視聴します。またZOOMとの併用による開催は行いませんので、よろしくお願いします。(参加を希望される方は、HPを通してご連絡をくださいますようお願いします。)