【2016.04.22 神の臨在】

2016.04.22

カテゴリー:オリーブ通信

13051705_1192918084081936_624688739861475152_n全国の「オリーブの家」のサポーターの皆さまへ
 皆様のお祈りに心より感謝致します。そして今、皆様からの沢山の支援物資が届いています。
主の御恵みに心より感謝します。

最初の地震からの「オリーブの家」の歩みを知っていただきたく書いています。
この間、「オリーブの家」では心が震える程の神様の御心を感じています。それを是非、お分かちしたく思います。

最初の激震は4月14日の夜の事でした。
その日は仕事を終え、夜8時頃帰宅しました。普段でしたら風呂の大好きな私は帰って一番にする事が入浴です。
そして1、2時間はくつろぐのが常であります。
何故か?その日は疲れていた事もあるのでしょう。着替えもせず座椅子に座りプライムニュースを見ていました。逆に妻は先に入りますよと言って入浴後、隣の部屋でマッサージチェアーでマッサージをしながらくつろいでいたようです。
そしてその時です。21時26分、ドーンという音、いや私にはダーンという激しい印象の爆音で突然2m先のテレビが卓袱台の上に飛んできました。その卓袱台で体をかろうじて押さえていましたが、あまりの激しい揺れに目の焦点が合いません。揺れが若干少なくなった時に隣の部屋にいる妻に声をかけましたが返事が有りません。壁つたいに隣の部屋を開けると妻がマッサージチェアーとベッドの間に身を屈め震えていました。
妻にも指示し最初にしたことは靴を履くことです。部屋の中はいたるところにガラスが散乱しています。今回のこの揺れは今まで経験したことのない激しい揺れです。とにかく荷物をまとめマンション外に出ることにしました。それほど9階での揺れは激しいものでした。
マンション内の駐車場では50人ほどの人達が身を寄せていました。大きな揺れが起きる度に女性の悲鳴が聞こえます。「オリーブの家」に連絡しましたが切羽詰った様子もなく職員の各部屋の確認もスムーズにいったようです。私達が駆けつけてみますと、あれ程の厳しい揺れにも関わらず皆、落ち着いていたようにも思います。その後、9階の我が家に帰り部屋の片付けをし、再度、事務所に向かいました。事務室、管理室、食堂と全員で片付け事をし、「あーやれやれ」と一安心。
この時、Sご夫妻、H兄もご自身が被災されているのにもかかわらず「オリーブの家」を慰問して下さいました。
家に戻ってから再度片付けをし、この日は早めに床に着きました。一度激しい揺れの経験していますから寝室だけは万全にと部屋には靴、緊急避難用のバッグを用意し夜に備えました。

深夜その眠りを襲ったのは本震のマグニチュード7.3の激震でした。14日の地震には無い恐ろしい程のパワーを感じました。妻と一緒にベッドに腰掛け、揺れのおさまるのを待ち、「オリーブの家」の皆さんと連絡を取りながら部屋を後にしました。皆さんも一回目と違いこの二回目の激震には肝を冷やしたようです。至る所で道路は通行止めです。自宅からオリーブの家まで倍の時間がかかりました。この時は「オリーブの家」中の惨状は目を覆うばかりのものでした。
「オリーブの家」の人達ばかりでなく住人全員で校区の避難場所である小学校に避難しました。避難場所である小学校の体育館は、窓ガラスが割れ建物の安全が確保できないという事で外で肩を寄せ合い夜を明かしました。夜が明け「オリーブの家」に戻りましたが、特に被害の大きかった手前の一、二階の四部屋の状況を確認し、避難することが最善との認識に立ち、車三台に便乗し避難場所に向かいました。朝まで避難していた小学校では水の配給および食料も見通しが立たないことから、水と食料を求め、別の避難場所に向かったのです。そこの体育館は避難を求めて集まっていた人達で入る余地がありません。しかたなく給水の整理券だけもらって、車で待機していました。整理券番号は549番で、到着した当初、給水を受けていたのは100番の人です。手分けして給水のポリタンクを集め4時間後、6個のポリタンクを持ち給水場所に向かいましたが一人3リットルの給水制限で18リットルの水を確保できました。天気予報では当日夜半から雨が降ると言っています。車での避難は高齢者が多く不安を感じていました。何とか避難場所をと何ヶ所か連絡をとりましたけれども、どこもそれなりの事情が有り断られました。そこで妻と一緒に一生懸命神様に祈りました。「神様お助けください!」と、そうしましたらK牧師の顔が浮かんだのです。藁をもつかむような思いで電話しました。先生の言葉は一言「いいですよ」ただそれだけでした。その時の思いは忘れることが出来ません。神様は「オリーブの家」を救って下さいました。

奇跡の連続でしたが、もう一つの奇跡、車のことでお話します。奈良のW夫妻が病と闘いながら奈良県のご自宅から10人乗りの車を運んでくれたのは4月9日のことです。車のお話があった時に確かにオリーブの家には移動する際、大勢乗れる車が必要だったのは事実です。しかし神様の御心はこの震災にそなえ、オリーブの家に車を届けてくださったとしか思えません。この震災の最中、この車がなかったならばと思うと恐怖さえ覚えます。在日大韓基督教熊本教会にお世話になってからも飲料水の不足から、湧き水を求め、この車はピストン輸送で大活躍です。荷物運びひとつにしても軽自動車と乗用車では身動きがとれません。本当に助かりました。
地震直後、オリーブの家のファミリーの会(OB)第一号のKさんは2リットルの飲料水100本を大渋滞の道路事情にもかかわらず、8時間をかけ長崎から届けてくれました。思わず抱きしめました。本当に感謝です。ここにも神様の御心を感じます。至る所に人材を配置されています。
21日頃から皆さんからの物資が届き始め、今、避難所は喜びに溢れています。22日には「オリーブの家」の皆さんは二回目のシャワーを浴びることが出来ました。
またオーナーさまと協議の上、使用不可能な二部屋の代わりに事務所の修理が完了するまで熊本市新町の二部屋をお使いくださいと快く提供してくれたのです。
今後どのような形で、又、いつ頃この修理が終わり事務所が使用できるようになるかはわかりませんが、とりあえず明日(23日)の事務所移転以降、ファミリーの皆さんが居住する部屋は問題ありませんから、サッシ、ドア等の建てつけが直り次第オリーブの家は再出発していきます。
全国の聖書フォーラムの皆様、引き続きお祈り下さいますよう心よりお願い申し上げます。本当にありがとうございました。

オリーブの家 一同 青木康正

NPO オリーブの家

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