練馬桜台聖書フォーラム

死後の世界 レジュメ(9)2019年 1/12

2019.01.12

カテゴリー:学び, 死後の世界

死後の世界 レジュメ(9)2019年1/12

 

死後は最後の審判の時まで眠っているのでしょうか?

 

2012年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える死後の世界
ー個人的終末論ーテキスト 

(チャート 死者の場所(13の用語))
(ホワイトボード)を学んでいます。

ご購入はこちらから(MP3版
(CD、DVD、テキストは販売終了)

 

 

レジュメもくじ

前回レジュメ(8)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
紫色の聖句は2回目にでてきた聖句または参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の聖句や文章は補足説明です。
茶色の文章はフルクテンバウム博士著『The Footsteps of The Messiah』付録Ⅷ 中間状態 からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

 

Ⅱ.中間状態
The Intermediate State between Death and Resurrection

 

E. 誤った説(2つある)
The False Teachings

(前回は1.セカンドチャンスをとりあげました。)

 

セミナーテキスト13ページ

聖書に「眠っている」とあるので中間状態は寝ている?

 

 

.霊魂の眠りという説
Soul-Sleeping

 

死後直ちに霊魂は眠りの状態に入り、復活の体が与えられるまでずっと意識がない状態であるという説

 

 

 

a.擁護する議論(3つある)
Arguments in Favor of Soul-Sleeping

 

 

(1)死者は眠っている。という説
The Dead Viewed as Sleeping

「眠っている」とは死の婉曲的表現
この言葉から死んだ霊魂は眠っていると議論する

 

旧約聖書

 

詩篇13:3
詩 13:3 私に目を注ぎ、私に答えてください。
私の神、【主】よ。
私の目を輝かせてください。
私が死の眠りにつかないように。

 

ダニ12:2
ダニ 12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。
ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。

 

新約聖書

 

マタ9:24
マタ 9:24 言われた。
「あちらに行きなさい。
その子は死んだのではない。
眠っているのです。」
すると、彼らはイエスをあざ笑った。

 

マタ27:52
マタ 27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。

 

マコ5:39
マル 5:39 中に入って、彼らにこう言われた。
「なぜ取り乱して、泣くのですか。
子どもは死んだのではない。
眠っているのです。」

 

ルカ8:52
ルカ 8:52 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。
しかし、イエスは言われた。
「泣かなくてもよい。
死んだのではない。
眠っているのです。」

 

ヨハ11:11〜14
ヨハ 11:11 イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。
「わたしたちの友ラザロは眠っています
しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」
11:12 そこで弟子たちはイエスに言った。
「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」
11:13 しかし、イエスは、ラザロの死のことを言われたのである。
だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。
11:14 そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。
「ラザロは死んだのです

 

使7:60
使 7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」
こう言って、眠りについた

 

使13:36
使 13:36 ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。
For David, after he had in his own generation served the counsel of God, fell asleep, and was laid unto his fathers, and saw corruption:

 

1コリ15:6
Ⅰコリ 15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。
その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

 

1コリ15:18
Ⅰコリ 15:18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

 

1コリ15:20
Ⅰコリ 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

 

1コリ15:51
Ⅰコリ 15:51 聞きなさい。
私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。

 

1テサ4:13〜14
Ⅰテサ 4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。
あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。

 

2ペテ3:4
Ⅱペテ 3:4 次のように言うでしょう。
「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。
父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

 

死んだ人のことを眠ったと表現している

反論(1)(6)へ

 

 

 

(2)死者はその魂が無意識状態である。という説

The Dead Viewed as in an Unconscious State

 

詩篇6:5
詩 6:5 死にあっては、あなたを覚えることはありません。
よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。
死んだ者は誰も覚えていない、記憶がない

 

詩30:9
詩 30:9 私が墓に下っても、私の血に何の益があるのでしょうか。
ちりが、あなたを、ほめたたえるでしょうか。
あなたのまことを、告げるでしょうか。
穴(the pitに下ったのち、私はあなたを、ほめたたえるでしょうか。という言葉がある

 

詩115:17
詩 115:17 死人は主をほめたたえることがない。
沈黙へ下る者もそうだ。
この言葉から無意識状態だと言う

 

詩146:4
詩 146:4 霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。

 

セミナーテキスト14ページ

伝道者の書9:5〜6
伝 9:5生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。
彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。

9:6 彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消えうせ、日の下で行われるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。

 

伝9:10
伝 9:10 あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。
あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。

 

イザ38:18〜19
イザ 38:18 よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。
38:19 生きている者、ただ生きている者だけが今日の私のように、あなたをほめたたえるのです。

父は子らにあなたのまことについて知らせます。

反論(2)(5)へ

 

 

 

(3)永遠の運命は最後の裁きで決まる。それまでは眠っている。という説
The Determination of Eternal Destiny

 

その人の永遠の運命は最後の裁きで決まる、つまり死んだ段階でその運命が決まるのではないという教え

 

5箇所の聖句が使われる

 

マタ7:22〜23
マタ 7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

 

マタ25:31〜46
マタ 25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、25:33 を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
羊と山羊のさばき

 

ヨハ5:28〜29
ヨハ 5:28 このことに驚いてはなりません。
墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
5:29 善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。

 

2コリ5:10
Ⅱコリ 5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
キリストの御座のさばき

 

黙20:11〜15
黙 20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。
地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。
これが第二の死である。
20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
白い御座のさばき

 

反論(7)へ

 

永遠の運命は死ではなく最後の審判によって決められると教える
魂は寝ていると言うためこのような議論を用いる

 

 

 

b.否定する議論(7つある)

Arguments Against Soul-sleeping

 

霊魂の眠りという説に対する反論
(1)「眠る」という言葉について
Concerning the Term “Sleep”

 

「眠る」という言葉が使われる時は必ず肉体に関して言っている
恐らく、遺体と寝ている人の肉体状態は静止状態にあり似ているから
旧約聖書が「眠る」という言葉を肉体に関して言う場合は「主に信者に関して
新約聖書は「信者にのみ」この言葉が使われている
神の視点から見て信者のというのは一時的な肉体の休止状態であると考えられる
つまり信者は再び復活のからだをもち再開されるという見通しがある
夜寝ている時肉体は一時的に休止状態に入るが、心臓、血液循環、頭、霊魂も働いている
信者が死ぬと肉体は復活まで一時的に休止状態に入るが、霊魂の活動がストップすることはない
肉体の活動のみが休止する
それが「眠る」という言葉を肉体の死について使う理由

肉体に対してのみ適用され、霊魂に関して「眠る」という言葉が使われる例はない

 

 

 

霊魂の眠りという説に対する反論

(2)死後の意識について
Concerning Consciousness After Death

 

例)
イエスの変貌山の出来事におけるモーセは死んでいるが、意識がある

ルカの福音書の16章では金持ち、ラザロ、アブラハム、全員死んでいるが、意識がある

 

*テキストに書いてない聖句 ルカ23:43
ルカ 23:43 イエスは、彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。
イエス様があの盗人にわたしとともにあなたは今日パラダイスにいると言われた

死んで霊魂が肉体を離れた時に霊魂は眠るのではなく(信者は)イエスとともにパラダイスにいる

 

 

 

霊魂の眠りという説に対する反論

(3)天使の存在について
Concerning the Existence of Angels

 

中間状態が眠っている状態だと言いたがる理由の一つは、肉体がなければ霊魂は機能できないという前提をもっている人がいるから
しかし、天使の存在を見ると肉体がなくて霊だけであっても活動できることは明らか

 

 

霊魂の眠りという説に対する反論

(4)復活という言葉について
Concerning the Term Resurrection

 

復活という言葉は肉体に関してのみ言う
魂が復活したという言い方はしない

マタ27:52
マタ 27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った

 

 

 

霊魂の眠りという説に対する反論

(5)死の意味について
Concerning the Meaning of Death

 

死ぬと信者の霊魂はただちに神の臨在のもとに入る

 

使7:59
使 7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。
「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
イエスさまは父なる神のみもとにあって殉教者ステパノの魂を受け取っている

 

ピリ1:23
ピリ 1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
実はそのほうが、はるかにまさっています。
肉体から離れるとは神とともにあること

 

2コリ5:6〜8
Ⅱコリ 5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。
ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
5:8 私たちはいつも心強いのです。
そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。
肉体を離れるとは主とともにいること

 

黙6:9〜11
6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい」と言い渡された。

 

黙7:9〜17
黙 7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。
「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

魂は天にあって意識のある状態で活動している

 

 

 

霊魂の眠りという説に対する反論

(6)ある状態を描写する言葉

Concerning the Language of Appearance

 

見かけがそうなのでそういう表現を使うが実際はそうではないという言葉の使い方を時々する
例)
太陽がのぼる、太陽が沈む
太陽はのぼったり沈んだりしないが、そう見えるので太陽がのぼる、沈むという言葉を使う

肉体は死ぬとあたかも眠っているように見えるので、その状態を描写して眠ったという表現を使う
或る箇所では死んだのち肉体は動くことができないという意味で眠ったと言っている

伝道者の書の結論は人間的な哲学から見た結論であり、聖書そのものの真理ではないということを再度思い出してほしい

 

 

 

霊魂の眠りという説に対する反論

(7)永遠の運命が決まる時について

Concerning the Determination of Destiny

 

聖書が語る最後のさばきは「白い御座のさばき」
誰が救われ誰が救われないかを決めるものではなく、白い御座のさばきに出るのは不信者だけ
不信者の罪の度合いが裁かれる

 

聖書が語るいろいろな裁きを混同しているクリスチャンがいる

 

キリストの御座のさばき
既に信じて救われた信者が地上において如何に生活をしたかによって報奨を受けるさばき
救われているか救われていないかを決めるのではない
救われている人の報酬を決める
2コリ5:10

 

異邦人のさばき羊と山羊のさばき
大患難時代に異邦人がどういう態度をユダヤ人に示したかにより、それに続くメシア的王国で住むか住めないかが決まる
マタ25:31〜46

 

白い御座の裁き
救われる人とそうでない人を区別するさばきではない
肉体の死を迎えた時に救われる人と救われない人の区別は既に決まっている
イエス・キリストを信じて救われているならば、一人として白い御座のさばきに出る人はいない
不信者の罪の軽重に応じて、燃える火の池の中で苦しむ懲罰の度合いが定められる
黙20:11〜15 大きな白い御座

 

フォーラムにて、聖書の示す最後のさばきである「白い御座の裁き」とミケランジェロの絵「最後の審判」とは随分異なるね、という話になった
絵はカトリックの教えのもと、いうこともあるのだろうが

「最後の晩餐」にしても、芸術作品としては素晴らしく有名な作品だけに、事実とは誤ったイメージが広まるのは何とも悩ましい・・・
死後は寝ていて全ての人に対する審判が最後に待っているのではなく、死の瞬間にどこに行くかは決まる
肉体は寝たように見えるが、眠ることはない

 

私たち信者は亡くなった時に魂は天にあげられ、やがて永遠の秩序の中で復活のからだをもって永遠の祝福の時を生きるという希望を抱くことができる

 

 

 

復習

 

聖書が教える死後の世界―個人的終末論―

私たちの魂は死んだら将来どういう過程をたどるのかという学び

Ⅰ.不滅
Ⅱ.中間状態
Ⅲ.死者の場(次回より)

 

セミナーテキスト1ページ

Ⅰ.不滅

死んだら私たちの霊魂は滅びるのか?

聖書は滅びない、意識をもって生き続けると教えている
B.不滅の証拠17の聖句、事件を通して死んでも霊魂は[生き続ける]ことを確認した

 

セミナーテキスト3ページ

C.不滅の教理がもたらす益

私たちは希望をもってこの地上生涯を生きることができるようになり、義なる生活を送る動機づけが与えられることが霊魂の不滅を信じることのプラス面

 

D.誤った説

生存は終了する 死んだ時に魂も死に絶える
霊魂は輪廻する
条件付きの不滅
霊魂の抹殺

③と④は若干似ている
③条件付きの不滅は死後、信者のみが生存し、不信者は生存がなくなるという考え方
④霊魂の抹殺は不信者は死後一定期間さばきにあいその後霊魂は抹殺されるという考え方
③と④の違いは、不信者は死ぬとただちに霊魂がなくなるのか、一定期間さばきにあいなくなるのかという違いで、基本的には同じ
そういう議論がでてくる理由は主観的、感情的に、永遠に苦しむ人がいる、永遠に苦しむ場所がある、ということを受け入れられないから
神の愛、神の正義をもとにした議論、死んだ幼子や無知な異教徒はどうなるのかといった議論は、魂が苦しみの中でいつまでも存在することを受け入れられない故

その議論を証明するために聖書的議論として16箇所の聖句を引用する(次へ)

 

セミナーテキスト5ページ

c.この説を否定する議論

それに対して私たちは神学的議論として、人間の主観的な希望で聖書の真理を決めてはいけないと学んだ
聖書的議論、一つ一つの聖句をとりあげて 「滅ぼす」というギリシャ語はいろいろあるが、どれ一つとして抹殺を意味しているものはないと確認した

霊魂の消滅は聖書にはない教えだと確認した

 

セミナーテキスト6ページ

d.それ以外の議論

聖書の啓示に基づけば永遠のいのちと永遠の苦しみの両方があり、霊魂の不滅は聖書的真理であると確認した

 

 

セミナーテキスト8ページ

Ⅱ.中間状態

肉体の死と復活のあいだの魂の状態

信者は祝福の状態、不信者は苦しみの状態にあると学んだ

 

セミナーテキスト9ページ

D.中間状態の体があるのかどうか

からだがある:様々な聖句から証明しようとするが、基本的には霊魂だけでは活動できないだろうから何らかのからだがあるはずだという前提に基づいた議論がほとんど
私たちは聖句をよく分析し、霊だけで活動する例がたくさんあると確認した

結論
中間状態のからだはない

今のからだと、復活して永遠に滅びないからだになるというこの2つのからだしかないと確認した

 

セミナーテキスト11ページ

死後の霊魂の状態に関してE.2つの誤った教えがあると学んだ

1.セカンドチャンス
セカンドチャンス論は日本だけではなく世界中で広まりつつある

基本的には真剣に聖書研究をしなくなり、人間的な願いや感覚だけで論じるようになっている結果
聖書研究が足りないと誤った教理に導かれていく
第二の機会はない
私たちがこの地上で信じるか信じないか、どういうことを行うかが全てを決める

さばきはいろいろあるが全て、永遠の運命を決定するさばきではない
キリストの御座のさばき:信者の報奨を決めるさばき
異邦人のさばき:羊の異邦人と山羊の異邦人に分けて、千年王国で生きられるかを決めるさばき
白い御座のさばき:不信者がどれくらいの苦しみを罰として受けるかを決するさばき

救われるか救われないかは死の段階で直ちに決まる

 

セミナーテキスト13ページ

2.中間状態の霊魂の眠り

「眠っている」とは肉体に関することであり、死んでも霊魂は意識があり、復活のからだが与えられるまで活動している
今回

 

これで「聖書が教える死後の世界―個人的終末論」のセミナーの半分が終わった

次回よりⅢ.死者の場所
死んだらどこへ行くのか

 

死後の世界レジュメ(10) 2019年1/26
.死後の場所A.見えない場所(13の用語がある)1.シオール 2.ハデス 

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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