2017年10月21日(土)実施。 10名参加。
【分かち合いのご報告】 「テサロニケ人への手紙第一、CDメッセージその2」を聞いて分かち合った。
① パウロの使徒としての伝道姿勢について「自己弁明」を学んだが、正に今の私たちにも適用できる。 それは聞く人たちを喜ばせるためでなく、神に喜んでいただけるように奉仕することだ。 愚直なまでにみことばの全貌を語ることこそ、相手が神への本当の応答ができるようになる筈。 人が喜ぶ愛の神を強調するだけでなく、神はさばきをされるお方であることも言わなければならない。 しかし、パウロは、母のように、父のように語ったことを、忘れずに参考にして伝道すべき。
② 今日の学びから外れるが、わからないところがあるので教えてほしい。 へブル11:13に「これらの人たちはみな、信仰の人々として死にました。 約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」と書かれている。 この箇所で出て来る「約束のもの」とは「イエス様の十字架の贖い」のことだろうか。 これに対してある信者が答えた。 教会によっては「その通り、今の私たちは2000年前の十字架を返り見て救われるが、旧約の人たちは将来の十字架を望み見て義とされる。」と説明するところがあるが、聖書にはそんなことは書かれていない。 これらの旧約の人たちは十字架のことはまだ知らなかったので、ここに出て来る「約束のもの」とはアブラハム契約の約束のことです。 質問した人は、これでよくわかったと感謝していました。
③ これも今日のメッセージから外れるが、教会に集っている信者が言った。 「今の北朝鮮のことはとても不安だ。」 これに対して、別の信者が答えた。 「信者であっても地上生涯を送っている私たちは皆不安に感じている。 特に、家族、肉親、親しい友人がまだ救われていない状況では、ミサイルが日本に落ちて来たらと思うと不安でたまらない。 しかし、そのような切羽詰まった不安の中でも、すべてをご存じで、すべてを支配する主がおられると思うと“恵み”を感じることも事実だ。」 これに対して彼女は言った。 「このバイブルスタディでは何でも言えるし、主にある交わりができるのでありがたい。」
以上