(北海道、北見で撮影。)
2017年10月7日(土)実施。 9名参加。
【分かち合いのご報告】 「テサロニケ人への手紙第一、CDメッセージその1」を聞いて分かち合った。
① この手紙が書かれた背景がよくわかった。 パウロがこの地に滞在した期間はせいぜい2〜3カ月で、ユダヤ人の迫害にあって脱出せざるを得なかった。 短いパウロの伝道活動にも拘わらず、異邦人信者中心のテサロニケ教会は神のご計画の全貌を聞いて、信じた直後からキリストの再臨を待ち望むようになった。 しかし、その後、彼らが終末時代の聖書理解に混乱を生じていたとテモテから報告を受けて、パウロは2つの手紙を書いた。 この書簡のゆえに、今を生きる私たちは、はるかに多い啓示を受け取ることができたと知り、感謝。
② 今日の学びから少し外れるが、聖書には、「行いによって義とされるわけではない」ということと、「行いによってその人が救いを得ているかどうかがわかる」という少し矛盾するような記述があるが、どう理解したら良いだろうか、との質問が出た。 これに対してある信者が答えた。 「義とされるのは、ただ、恵みと信仰による、ということは学んで来た通りだ。」 しかし、ヤコブ書では、「信者としての行いがなかったら、その信仰は死んだと同じ。」との記述が出て来る。 この二つは矛盾しない。 神は心をご覧になるお方で、聖霊によって義とされ、救いを得た“心”を内に持っていれば、その“結果として”、みこころに沿った行いが自然に出て来る、という意味だからだ。 質問者を含め全員が納得。
以上
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(秋の御代田に咲くアサガオです。)